Jackson Browne 2008.11.22:昭和女子大学 人見記念講堂
この日の公演は前売りで完売していて、当日券の販売がない状態だった。グッズの先行販売を狙い、開場時間よりかなり早めに会場に着いたのだが、意外にも人はまばらだった。やがて先行販売が始まり、Tシャツと携帯ストラップを購入。徐々に人の数も増えてきて、先行販売が終了すると、入れ替わりに入場の列が成されていた。そして予定より5分早く開場し、場内に入ることができた。
ほぼ定刻に客電が落ち、ステージ向かって左の袖からメンバーが登場。真っ先に姿が確認できたのがジャクソン・ブラウンその人だったのだが、まずその風貌に驚かされた。10月にリリースされた新譜『Time The Conqueror』のジャケットは、サングラスにヒゲ面という、これまでのこの人のイメージを大きく覆すものだったが、目の前にいる本人もほぼジャケットまんまだったのだ。タイプは異なるがやはりサングラスをかけていて、そして白髪が混じったヒゲをたくわえていた。
オープニングは、『Hold Out』からの『Boulevard』。勢いのあるロックチューンで、出だしにはもってこいの曲である。風貌にこそびっくりさせられたが、ステージ中央でギターを弾きながら軽快に歌うのは、まぎれもなく今まで観続けてきたジャクソンその人である。そして、今回のバンドは総勢6名。向かって左にギター、右にベースのケヴィン・マコーミック、後方右には黒人のキーボード、中央にドラマー、そして左には2人の黒人女性コーラスが陣取っていた。
続いては『The Barricades Of Heaven』~『Everywhere I Go』となり、特に後者では2人のコーラスが早くもその能力を発揮。またギタリストは間奏でソロの場を与えられ、キーボードの人はバックヴォーカルも担っていた。ドラマーはリズムキープに徹し、ケヴィンも淡々とリズムを刻んでいる。ギタリストとジャクソンは、ほとんど1曲毎にギターを替えていて、2人ともそれぞれ5~6本のギターを使いこなしていたと思う。ステージには何の装飾もなく、まさに音楽そのものがこの日のメインだと言わんばかりだ。
キーボードの前に座ったジャクソン。曲は『Fountain Of Sorrow』で、そのメリハリのあるイントロだけで聴いた方ははっとさせられ、そして場内はどっと沸く。ジャクソンのヴォーカルだが、高音にやや難点はあれど、あの独特の瑞々しい声は以前と変わってはいない。また、曲をスタートさせるカウントは常にドラマーが取っていたのだが、ドラマーにそうするようアイコンタクトで指示していたのは、やはりジャクソンだった。
タイトル曲『Time The Conqueror』~『Off Of Wonderland』~『Live Nude Cabaret』と、ここにきて新譜『Time The Conqueror』からの曲が固め撃ちされる。この人のアーティストとしての生きざま、歩みを考えれば深みと味わいのあると受け取れる作風だが、聴いていると正直に言ってかなり地味で、これライヴで演奏すると大人しくまとまってしまうのでは?という危惧を私は抱いていた。しかし、そこはライヴ巧者のジャクソンである。ただ原曲のままに演奏するのではなく、バンドのメンバーにそれぞれ見せ場を作らせながら曲を膨らませ、きっちりと見ごたえ聴きごたえのある仕上がりにもってきたのだ。
ブルージーな『Culver Moon』や新譜からの『Giving That Heaven Away』を経て、ジャクソンは再びキーボードの前へ。軽快なイントロはファーストからの『Doctor My Eyes』で、初期の曲を歌って違和感を感じさせないというのは、この人の活動の軸が一貫してブレていないことを証明している。そしてそのままメドレーで『About My Imagination』へとなだれ込み、ヴォルテージがピークに達したなと思わせたところで、第一部の終了と休憩が、ジャクソン本人から伝えられた。
約15分の休憩を挟み、第二部へ。まずはジャクソンがキーボードに陣取り、ギタリストと2人だけでの『Something Fine』を。続いて他のメンバーも加わり、フル編成に戻ったところで『These Days』となった。続いてはアンプラグドセットとなり、ジャクソンとギタリストはアコギを弾き、ケヴィンは大型のスティックベースを、ドラマーは前方に出てきてカポンにまたがってパコパコと叩いていた。
曲は『For Taking The Trouble』から『Lives In The Balance』となり、調べたら2003年来日公演の第二部と同じ展開だった。ただ、そのときと今回とで決定的に異なるのは、2人の女性コーラスの存在である。特に後者においては、原曲と異なるスパニッシュなアレンジにしつつ、要所で女性コーラスの歌い上げが際立ち、彼女らに歌を任せてアコギに専念するジャクソンの表情も、どこか楽しげに見えた。この日、ジャクソンは適度にMCもしていて、もちろん「アリガトウ♪」以外はほとんどは英語なのだが、使っている2本のアコギが日本人のギター職人の手によるものであることも、さらりと明かしてくれた。
さて、通常のエレクトリックセットに戻り、新譜『Time The Conqueror』からの曲を第一部と同様固め撃ちにする。印象的だったのは、歌詞によるメッセージを伝えようとする以上に、バンドの演奏によってオーディエンスに対するアプローチをかけてきたことだった。白髪でメガネをかけたギタリストは、トム・モレロばりに高めの位置にギターを構え、何度もソロプレイを繰り広げていた。キーボードの黒人も複数ある鍵盤を使い分け、バックヴォーカルは黒人特有のエモーショナルでソウルフル・・・ではなく、ジャクソンのヴォーカルを打ち消さない控え目なものだった。
ジャクソン・ブラウンのライヴでは、客がリクエストを挙げてそれにジャクソンが応えて演奏する、というのが醍醐味のひとつでもあった。ただ、2003年や2004年の公演では、口々にあの曲この曲と言い放って、いくらなんでもそりゃ節操無さ過ぎだろと、少なくとも私個人は辟易していたところだった。この日の公演は、ジャクソン側が組んでいたセットリストに沿う形でここまで進んできて、ずっとこのままで行くかなとも思ったのだが、ジャクソンがキーボードについたところで客席から声が挙がり、それに応える形で『Rock Me On The Water』が披露された。
いよいよクライマックスで、『The Pretender』である。聴いていて心が洗われるような、普遍性漂う永遠不滅の名曲である。ここまで客席は座ったままだったのだが、この名曲を座ったままで体感しているのが、なんだか申し訳なくなってきた。がしかし、それは次なるブレイクの前の大いなる助走のようでいて(ずいぶん贅沢な助走だが)、いよいよ来るぞ来るぞというのを心の中で楽しんでいる自分がいた。『The Pretender』が終わり、ジャクソンがキーボードを離れ、スタッフが持ってきたギターの背負い、ドラマーが電撃のイントロを発したとき、それは起こった。
稲妻のような衝撃が場内に走り、終始腰の重かったオーディエンスはここでついに総立ちになった。ケヴィンがベースを弾きながらキーボ−ドの人とアイコンタクトをしてにこりとし、またコーラスの2人も微笑みを浮かべていた。リズムキープに徹していたドラマーは、パワフルにビートを刻んだ。そうしたメンバーを従えているジャクソンは、マイクスタンドの前に立って喜々として歌い、その姿はやはり凛凛しかった。曲は、言わずとしれた『Running On Empty』である。この日このときこの瞬間を、体感できる喜びといったら、どう表現すればいい?こうして場内の温度が1度か2度上がったような状態になり、本編が終了した。
アンコールは、まずジャクソンのピアノ弾き語りでの『The Load Out』。暗いステージの中でジャクソンにピンスポットが当てられ、即興で歌詞を変えて歌い上げ、「トーキョー」の単語が交ぜられるのも今やお馴染みだ。途中から他のメンバーも生還してフルバンド構成に戻り、メドレーで『Stay』へ。コーラス部分は当然のように2人の女性が担い、この2人もそれぞれに持ち味を発揮。終盤ではジャクソンが歌うのを控えて客に歌わせ、やがて「Stay!」~「Come on ,come on,come on♪」というフレーズのリフレインになった。
ここでいったん全員引き上げたが、すぐさま戻ってきて2度目のアンコールに。アメリカ大統領選挙のことをちらっとだけ語り、そしてオーラスは『I Am A Patriot』。なんとケヴィンやキーボードの人の歌のソロもあって、メッセージ性を色濃くした格好になった。曲こそレゲエ調で一聴するとほのぼのしているのだが、「俺は愛国者」「俺は共産主義者じゃない」「俺は民主党員じゃない」「俺が知っている党は自由だけ」と歌われる歌詞は、アメリカの新しい大統領が選挙で決まったばかりのこのときにおいて、あまりにもタイムリーだったように思えた。
ブルース・スプリングスティーンがなかなか日本には来てくれない一方、アルバムをリリースする都度来日してくれるジャクソンは、実は日本という国や日本の文化に惹かれるところがあるのではないかと、勝手に都合よく想像してしまう。今回は風貌にこそ大きな変貌はあったが、ジャクソン・ブラウンその人の中身や本質がここにきて変わるはずもなく、今までと同じく素晴らしい歌と演奏を私たちに届けてくれた。そのことをとても嬉しく思うし、これからも私はこの人の曲を聴き続けて行くと思う。
(2008.11.24.)