Beck 2009.3.25:NHKホール
ライヴハウスや武道館はともかく、ベックの日本公演が椅子席常設のホール会場で行われるのは珍しいかなと思った。過去、99年の『Mutitions』ツアーでベック側が椅子のある会場を指定してきたことはあったが、果たして今回はそういった指定はあったのだろうか(この次の日には、Zepp Tokyoでの追加公演もあった)。
予定より少し時間が経ったところで客電が落ちる。ベックとバンドメンバーが登場し、『Gamma Ray』でスタート。来日は2年ぶりで、前回はバンドは大所帯、ステージにはメンバーに似せたパペットが本人たちと全く同じ動きをするという演出もあったが、今回はいたってシンプルだ。まずステージセットだが、後方に30体近くのマネキンが横一列に並べられている。これらはただ並べられているだけで、これ以上の動きはない。バックドロップにはスクリーンがあるが主に抽象映像を流し、時折ステージ上のベックのシルエットが被せられるという具合だ。
そしてバンドメンバーだが、前回から残っているのはキーボードのブライアンのみ。しかしこの人、前回はふつうだったのが今回はスキンヘッドで、更に存在感が増している。他にはギター、女性のベーシスト、ドラムという編成(ちなみに前回ツアーのベーシストは、ナイン・インチ・ネイルズのPVにてトレント・レズナーのバックを務めていることが確認できる)。こうしたことなどから、今回は音楽そのものを前面に出す趣向なのだと思われる。そしてベックその人だが、シャツをラフに着こなし、ギターを弾きながら歌っている。観る側として、視線が行くのはヘアスタイルで、前髪の片側だけが長く、もう片側が短いという、ちょっと鬼太郎風なのだ。
曲は続いて『Nausea』~『New Pollution』となり、小気味いいテンポの曲が畳み掛けられる。いずれもベックがギターを弾きながら歌っていて、つまり飛んだり跳ねたり踊ったりという肉体性を駆使したパフォーマンスではなく、歌と演奏そのものを主体とする、シンガーソングライター的なアプローチだ。更に『Black Tambourine』~『Mixied Bizness』~『Beer Can』~『Nicotine & Gravy』と、ライヴ序盤がキャリア横断的な選曲になったのは、正直意外だった(もちろん嬉しいけど)。
しかし、やがてと言うか当然と言うか、新譜『Modern Guilt』モードへとシフト。インディーレーベルからリリースされたこのアルバムは、力みのないシンプルでローファイ感漂う作風のように感じている。決して数万人を相手に披露されるような類の音ではないのだが、ホールやライヴハウスといった、ある程度密閉感のある空間においては悠々と響き渡っていて、ベックが持ちうるカッコよさのひとつが発揮されていると感じている。冒頭でも少し触れたが、ホール会場をセレクトしたのはどうやら正解だったようだ。
個人的にハイライトとなったのが、終盤でバンドメンバー全員がステージの前の方に出てきたときだ。みなサンプラーを手にしていて、これらから発せられる電子音に乗せて、ヘッドフォンマイクをつけたベックが歌うという具合。前半で既に演奏されている『Black Tambourine』が再び披露されたのには少し驚いたが、原曲より少し崩したアレンジになっていて、むしろこちらの方がカッコよかった(ライヴ後にCDを聴き直していて、『Guerolite』に収録されているバージョンだとわかった)。更にはライヴにてその効力を発揮する、『Clap Hands』。オーディエンスを煽る、ベックとメンバー。応えるように手拍子を発する客席側、と、この曲は今やライヴでは欠かせない曲だろう。
再びメンバーがそれぞれ持ち場に戻り、ゆったりとした『The Golden Age』あり、ギターのインプロヴィゼーションが繰り広げられた後での『Loser』はついに来た!という感じで、この持って行き方は見事だった(このギターインプロの際、ローリング・ストーンズ『You Gotta Move』のイントロをちらっと弾いていたようにも聴こえたのだが)。本編ラストは、この流れではセットリストから落ちると思っていた『Sexx Laws』だった。あまり間を置かずにすぐさまアンコールとなり、いきなり『Where It's At』のイントロが流れ、これで再び場内は大騒ぎに。『Time Bomb』を経て、オーラスは『E-pro』だった。
デビューから、『Odelay』リリース直後くらいまでのベックは、いい意味での「危なさ」を放っていたと思う。それが、やがて時代の寵児やカート・コバーン亡き後のヒーローといった持ち上げられ方をするようになった。フェスティバルではヘッドライナーを張るようになり、ステージパフォーマンスも華麗な身のこなしを駆使し、また一方ではプリンスばりのウラ声で歌い上げるなど、本人も持ち上げられたポジションを引き受けるかのような頑張りを見せていた。ではあるが、ロックアルバムとアコースティックアルバムを交互にリリースしていたのは、そうしたヒーロー然とした佇まいと、音楽志向の佇まいとのバランスを保つためではなかったかと思う。
そうした極端な音作りをせずともバランスが保てるようになったのが、前作『The Informartion』のときからだと、個人的には思っている。そして今回の『Modern Guilt』では、キャリアを重ねて成熟しながらも、デビュー時のような「危なさ」が復活した作品ではなかったかと思うのだ。この日のベックに、神々しさは感じられなかった。歌うのにマイクスタンドに間に合わなかったり、歌詞が飛んだのかハミングしたり、バンドとの演奏のコンビネーションも、万全とは言い難く時折ぐだぐだだったこともあった。がしかし、こうしたヘナヘナ感こそがベック登場時の持ち味のひとつだったはずで、「ブッ飛んだ」ベックが帰ってきたのだと、個人的にはとても嬉しく思っている。
(2009.5.24.)