Beck 99.4.11:渋谷公会堂
アコースティックが基調となったアルバム『Mutations』に伴うツアー。しかも日本限定。今までと違い、今回は全てホール会場を指定。自由に体を動かせない椅子席に抵抗があって結構尻込みしたファンもいたらしい。結局は全公演が凄い勢いで売り切れたのだけれど。
5時開場の5時半開演という慌しい渋公前。長い人の列がくねくねと何重にもできている。仕切り悪いなあ。個人的には96年のパワーステーション以来、久々の渋公である。最近は私もホール会場でのライヴよりスタンディングでのライヴの方が多くなったんだなあ、と妙な感慨に浸る。
私は5時半きっかりぐらいに着席できた。まだ周りは空席が多い。入場に手間取っているのか、それとも予定時間通りに開演するはずがないと余裕をこいているのか。そして5時45分、主催者のアナウンスの後に客電が落ちる。のんびり構えていて、あたふたと自分の席に向かう人多し。
バンドメンバーがぞろぞろと入場。g、b、ds、key、sax、トロンボーン、そしてDJ。結構大所帯だ。そしてそしてそしてついに、べべべべベック登場ーーーーーーーーっ!!場内総立ち。歓声が入り乱れて蜂の巣を突っ突いたような騒ぎになる。
私は過去に2度ベックを観ている。1度目は96年の『Odelay』のツアーでクラブチッタでの公演。しかし、はっきり言って間延びしたライヴだった。すきま風吹きまくりだった。ベックのどこがカッコいいのか、ベックのライヴの何が凄いのか、全くもって理解不能だった。こんなライヴを絶賛しまくる人の気が知れなかった。メディアに躍らされてるだけなんじゃん、って。
2度目は昨年のフジロック。このときも別にたいしたことはなかったと感じている(異論は多々あると思いますけど)。コステロのステージが終わるや否や一斉にステージ前に突進し、そして『Loser』でモッシュして中断。生ベックが「観れた」ことだけに狂喜したオーディエンスの過剰な思い入れだけでステージが成り立っているようにしか見えなかった。あんまり野外向けではないなあ、とも感じていた。
サウンドクリエイターとしてのベックは90'sのリーダーなのかもしれないが、ライヴパフォーマーとしてのベックには、どうしても疑問符が残った。理解できなかった。メディアの過剰な評価には、さらに嫌気がさしていた。ほんとなの、ほんとにみんなベックのこと理解してる?ベックの音楽性、ベックのアーティストとしての姿勢、ほんとにわかっていて騒いでるの?
だったら、それって何なの?
教えてよ。
話して聞かせてよ。
・・・と、こんな具合だった。
しかし、しかし・・・、
何なのだ、この存在感は。
そこに「いる」だけで、
その場に姿を「見せた」だけで、
会場中の空気を変えてしまうこの存在感。
りんごほっぺで、なで肩で、ひょろひょろっとしていて、
さりげない、ちっとも力の入っていない、このナチュラルさで、
それでいて、この圧倒感、
それでいて、この絶対感、
そうか、そうか、そうだったのか・・・(今頃気付くなよ/笑)
椅子に腰掛けるベック。どうやら黒いマントを着ているようだ。可愛い悪魔を連想させる格好に思える。曲は『Lazy Flies』でスタート。音は結構いい。アコースティックギターの音色が、そしてベックの歌声が場内に染み渡る。終わると割れんばかりの拍手。「ベックー」「ベーーーーーック」という歓声があちこちから飛ぶ。続いては『Cold Brains』。ハーモニカの音色も心地いい。こうして『Mutations』からの曲が中心になってステージは進む。
私は『Mutations』にもさして関心が湧かなかった。"普段着のベック"だの"素顔のベック"だの、そんなコピーにもヘドが出る思いだった。アコースティックアルバムなら、過去に偉大な先人たちが数え切れないほど世に輩出している。それらに比べて、これは特別に秀でたアルバムかい?違うよね?なんでこんなアルバムにこうまで大騒ぎするわけ?というのが私の見方だ。
『Mutations』は、『Odelay』と来るべき作品との間に位置する"つなぎ"だと思っていた。もともと過去に『One Foot In The Grave』というアルバムを作っているだけに、自らのルーツを確認するための位置付けだと思っていた。エリック・クラプトンの『From The Cradle』のような、エルヴィス・コステロがブロードスキー・カルテットと組んだ『The Juliet Letters』のような、そんな性格の作品だと思っていた。今回のツアーもそんな意味合いが込められていると考えていた。つまり、ベック自身がどうしても通らなければならない"道"ではあるのだが、これがベックの活動の現時点での臨界点、最高到達点にはならない、そう思っていた。
しかし、しかし、それだけではなかったのだ・・・
ぶっちゃけた話、ほとんどの曲が同じに聞こえた。『One Foot In The Grave』からも選曲されていたが、どれも似たりよったりに聞こえた。曲が進むに従い、最初は弾けるように騒いでいたオーディエンスも徐々におとなしくなっていった。そんなのは当たり前だと思った。なのに、なのに・・・、
どの曲も、圧倒的に聞こえるのだ。
どの曲も、断定的に聞こえるのだ。
ライヴ映えしているのだ。しすぎているのだ。
ここは椅子席だ。ホールだ。モッシュもない。ダイヴもない。
今までのベックのライヴとは様相が違う。
がしかし、これでいいのだ。
決してつなぎなどではない。
決してスローダウンではない。
決してルーツ回帰などではない。
これこそが、ベックの今のあるべき姿なのだ。
ここにクラプトンやコステロとの大きな違いがある。
『Odelay』からの『Sissyneck』ではラストでベックを始めメンバー全員がdsを指差す。まるでツェッペリンの『Moby Dick』のような激しく、そしてしつこいドラミング。そしてステージは最新シングル『Nobody's Fault But My Own』『Deadweight』でここまでで最大の盛り上がりを見せて本編終了となる。
今回のツアーの唯一のテキストであろう、1月にニューヨークで行われたたった1度限りのライヴ。そのときは、アンコールのスタートが『Deadweight』、そしてラストが『Jack-Ass』だった。だけど、今回はもうこの2曲は演ってしまっている。これはもしかして、と思っていると・・・
『Novacane』だあああああああああっっっっっっっっ!!!
あまりに唐突過ぎて、不覚にもその場では曲名が出てこなかった。
場内、まるで花瓶が床に叩きつけられて破片と花が四方八方に飛び散ったかのような大騒ぎになる。DJ Swampのプレイも冴え渡る。しかし、まじ血管切れるかと思った。声にもならない絶叫で気が狂うかと思った。よもや、まさか、こう来たかベックちゃんよ!
続いては『Mutations』のラストナンバーでもある『Diamond Bollocks』(日本盤はボーナストラックが後に収録されているが)。アコースティックな中に、『Odelay』で見せつけた変幻自在ぶりがミックスされたような曲で、実はこの曲の中に次作への方向性が秘められているのでは、と勝手に思っていた。どうしてニュー・ヨークのときは演らなかったのだろう、と疑問でしようがなかったので、個人的には大満足だ。
そしてそして『The New Pollution』!!!ステージを右に左に、更に前方にまで歩み寄るベック。そして出た出たムーンウォーク!!!スティックスの『Mr.Robot』でのデニス・デ・ヤングの動きを思い出してしまうのは私だけだろうか(笑)。醒めた炎、そしてその中に確かに宿る熱き想い。しっかりと、感じることができる。
それから『Debra』。去年のフジロックでも披露された曲だ。プリンスの『Adore』のように、ファルセットが地平線を切り裂く。伸びのあるvoにただただ聞き惚れる。アコースティック、マルチレコーディングに加えて、ベックのアーティストとしての力量を誇示していると思っている。こういう路線で1枚アルバムを作っても面白いと思うな。
そしてそしてそしてえええええっ、『Where It's At』!!!こうなれば椅子席だとかオールスタンディングだとか、そんなの関係ないぜ。この怒涛の『Odelay』収録曲攻撃。まるで去年のフジロックのイギー・ポップの壮絶パフォーマンスを思い出す。もう本当に血管がブチ切れて廃人になってしまいそうだ(笑)。
思えば私にとって濃密な1週間だった。ちょうど1週間前にはアンダーワールドのノンストップ・ハイテンション・パフォーマンスにすっかりのされてしまい、おとといには待ちに待った椎名林檎で放心状態になり、そして、これだ。
手拍子、そして「where it's at」の大合唱。それに答えるベックのファルセット。
今まで私はいったい何をうだうだ考えていたのか、
なんで今まで気がつかなかったのか、
なんで今までわからなかったのか、
ベックのアーティストとしてのポテンシャルに。
ベックのパフォーマーとしての力量に。
私はうかつな奴だった。
私は愚かな奴だった。
私の目や耳は節穴だった。
海よりも深く、悔やんでいる。
地の底より深く、悔やんでいる。
しかし、これで私はやっとベックを理解することができた。
これでやっと、ベックの音楽を手に入れることができた。
ステージ上はベックを含む他のメンバーが去り、DJ SWAMPのプレイに切り替わる。腕や肘を使ってのスクラッチ。後ろ手にレコードを操る。なぜか『Eye Of The Tiger』や『Smoke On The Water』のフレーズをスクラッチでプレイしてみせる。
再びのベック&メンバーの登場。そして『Devil's Haircut』!!!
ニルヴァーナの『Smells Like Teens Spirit』がなければ90'sを代表する曲だ、とまで言っても過言ではないだろう。この最後の絶叫、最後の叫び、最後の咆哮・・・、
もう何も言うことはあるまい。
この日会場に居合わせた人全てが私と同じ感想を持ってはいないと思う。私は『Mutations』からの楽曲群とその路線だけで押し切ってしまっても充分に納得できるライヴだと捉えていたのだが、そこへ来てこのアンコールでの『Odelay』からの怒涛の大連打だったのだから。驚愕した。そして、そこに"ライヴパフォーマー"としてのベックの姿を発見し、体感できたのだ。
私は『Odelay』を理解するのにまる1年かかった。そして、パフォーマーとしてのベックを理解するのには、なんと3年近くもかかった。ずっと、ずっと、私にとっての「ベック探し」の道のりは続いていた。長かった。長かった。しかし、これで私はやっと、ベックに追いついた。追いつけた。今回の公演がジャパンオンリーであったこと。私は、自分が日本人であったことをたまらなく嬉しく感じている。
(99.4.13.)
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