山下達郎 2009.3.21:大宮ソニックシティ
約6年ぶりとなる山下達郎のツア−が2008年12月からスタート。ホールクラスまでの会場でしかコンサートをやらないという、本人の強いこだわりもあってか、関東圏の公演はチケット争奪戦となり、私も東京公演についてはことごとく敗退していた。そこで、少し考えを変えて東京ではなく埼玉の大宮公演に狙いをつけ、なんとか確保に成功。個人的にさいたまスーパーアリーナには結構頻繁に足を運んでいるが、駅ひとつ隣の大宮ソニックシティとなると、2001年2月のボブ・ディラン以来、実に約8年ぶりとなる。
予定時刻を少し過ぎた頃に客電が落ち、SEが鳴り渡る。バンドメンバーがそれぞれ配置につき、最後に登場したのが山下達郎その人だ。オープニングは達郎その人のギターのカッティングで始まる『Sparkle』で、これは7年前に厚木で観たときと同じ曲。もしかして、この人のライヴのオープニングは決まってコレなのかな?曲がエンディングに迫ったところで達郎が「ぼくのライヴをようこそ♪」と挨拶するのも、7年前に観たのと同じだ。
さて今回のバンド編成だが、まず私が存じているのは、ギターの佐橋佳幸とキーボードの難波弘之の2人。他にもドラム、キーボード、サックス、女性コーラス×2、男性コーラスという布陣。いずれも引く手あまたのセッションミュージシャンらしく、他のアーティストとの競合が激しすぎたことが、ツアー間隔が6年も空いてしまったことの要因のひとつだと、達郎は語っていた。ステージセットはダウンタウンの街並を模したセットで、ホールクラスにしては豪華な部類に入ると思う。そのところどころに、達郎の作品名が入っていた。
前回のツアーは、RCA/AIR時代、つまり達郎がソロ活動初期に属していたレーベル時代の7枚から演奏しこの人の定番曲は演奏されないという、ファンによっては少しハードルの高い内容だった。しかし、今回は新譜こそ出していないものの、初期の曲から定番曲から最新ヒットまでと、キャリアを横断する選曲になっている(たぶん、この人のツアーはこれがスタンダードなのだろうけど)。達郎は基本的にはギターを弾きながら歌い上げているのだが、『さよなら夏の日』などいくつかの曲ではギターを手放しヴォーカルのみで臨んでいた。
何度かあったMCコーナーも、この人のライヴの見せ場のひとつである。なかなかメンバーが揃わない中、ではなぜ昨年ツアーに踏み切ったのかというと、大阪にあるフェスティバルホールを取り壊すという話があがり、これに達郎は異を唱え続けていたのだが、結局2008年いっぱいでの閉鎖が決まってしまったとのこと。がしかし、ホール側がその最後の4公演を山下達郎にと声をかけてくれ、それならとツアーをすることにしたそうだ。ドラマーとキーボードは今回新たに招き入れた人で、若きドラマーは山下洋輔のバンドをこなしていたとのことだ。
こんなことも言っていた。今回のツアーは全国50公演をこなしていて、ご当地にちなんだことも必ず話すようにしているようだ。大宮は何年ぶりとか、ソニックシティは築10何年でまだ新しい方で、地方のホールは経営困難に陥っていて、ミュージシャンが表現できる場がどんどんなくなっているという、少しシビアな話になった。年齢の話では、三波春夫のステージを観て唸らされたことがあり、森光子には年をとったと言っているうちはまだまだで、そのうち年をとったと言わなくなり、更には年をとったことを自慢するのだとか。また、アナログからCD、CDからハードディスクと、録音の媒体が移り変わっていくときに、自分が出したい音をなかなか出せずにかなり悩み、一時は引退まで考えたとも。完璧主義者だと思ってはいたが、これほどまでとは。
中盤は、 バンドメンバーが袖にはけて達郎ひとりでのアカペラコーナーがあり、英語の歌詞を素晴らしい声で歌い上げた。そしてメンバーが生還し、鳴り響いたイントロは、名曲『クリスマス・イヴ』だ。もう3月なのにクリスマス?という違和感がないではなかったが、それでも一度はナマで聴いてみたい曲だったので、嬉しく思った(7年前のときは演奏されなかったのだ)。この後も『蒼氓』『ゲット・バック・イン・ラブ』と名曲が続き、そして『Bomber』でしっとりモードからアッパーなモードへとシフトする。
続く『Let's Dance Baby』の中盤辺りから、場内は総立ちに(ここまではほとんどの客が着席していた。また達郎自身、客の年齢層を考慮してか無理に立たせようともしなかった。ライヴには流れがあり、アーティストがそれなりのことをすれば、自然にそれは起こるという考えのようだ)。中盤には、私は知らなかったがクラッカーを鳴らす「お約束」があったらしく、あちこちでパンパン言っていた。『高気圧ガール』は、私が初めて山下達郎の名を知った曲だったので、これが聴けたのもラッキー。本編ラストはドラマ主題歌に抜擢されてリメイクヒットした『Ride On Time』だった。
アンコール。『ずっと一緒さ』を経て、手塚治虫生誕80年にリンクしてかしないのか、『アトムの子』となった。曲中に「そーらーをこーえてー」と、そのもの「鉄腕アトム」の主題歌のフレーズをちらりと歌う達郎。そして『Down Town』だ。個人的には、そして恐らくは一般的にもEPOが歌い「オレたちひょうきん族」のエンディングとして知られている曲だが、作曲はこの人で、こうしたセルフカヴァーも嬉しいところ。この人の場合、セルフカヴァーだけでライヴができてしまうのでは、とさえ思ってしまう。そしてオーラスは、ほとんど達郎の独唱となった『Your Eyes』。最後はマイクを使わず、肉声だけで歌い上げていた。
前回のツアーから6年が経ってしまったことも、アルバムをさっぱりリリースしていないのも、本人的にはかなり不服だったようだ。次のツアー、次のアルバムを出すまでにはこんなには待たせない、とも言ってくれた。個人的にも7年ぶり2度目のライヴとなったが、この7年は長いようでもあり、しかしこの日のライヴを体感すると待たされた分以上のお返しをこの人はしてくれたように思う。音といい、バンドとの連携といい、とにかく徹底したこだわりの人で、その結果が途中休憩のない約3時間のライヴだった。
終盤のMCで印象的だったのは、「ピンチは、チャンスです」という、優しくも力強いことばだ。残念ながら決して住みよい世の中ではないのが実情だが、そうした状況だからこそ、前向きにそしてユーモアを忘れずに、人は生きていくべきなのだという、達郎からのメッセージなのだと思う。そういえば、浜田省吾もライヴで同様のことを言い続けていた。50を過ぎたアーティストたちが精力的に活動する姿を見るのは嬉しくもあり、自分も負けてはいられないという気にさせられる。
(2009.5.25.)