Mogwai 2009.1.11:Studio Coast
コンスタントかつ順調に活動を続けているモグワイ。昨年秋に新譜『The Hawk Is Howling』をリリースし、そして今年早々に来日公演が決定。個人的に観るのは前回の来日以来約2年ぶりとなるのだが、会場は奇しくも同じスタジオコーストだ。午後6時開場7時開演と、休日の公演にしては遅めの開始で、ベイエリアにあるスタジオコーストは、入場待ちしているだけでも肌寒かった(この日は、この冬一番の冷え込みだったらしい)。
定刻になり、まずはオープニングアクト。リメンバー・リメンバ−というユニットだが、メンバーは青年ひとりきりだ。ステージのへりには、手作り感のある「リ」「メ」「ン」「バ」「ー」というカタカナのボードが掲げられていた。まずはギターをゆったりと弾いていたが、その音をその場で取り込んでループさせ、二重三重に音を被せている。やがて青年はピアニカを吹いたり、鍵盤を弾いたり、と、操る楽器を次々に移行。それらの音も取り込んでループさせる。自分で手拍子も入れていた。約30分の演奏で、最後は「ありがとう」と日本語で書かれた団扇を掲げて去って行った。スタイルはユニークだが、退屈で間延びした感も否めなかったと思う。
セットチェンジには30分ほど費やされ、そして午後8時に再び場内が暗転。女性の声のSEが流れ、その間にモグワイのメンバーが登場し、スタンバイ。オープニングはファーストアルバム『Young Team』の冒頭の曲である『Yes! I Am A Long Way From Home』で、このSEも実は曲のイントロだ。中盤までは淡々と演奏する各メンバーだが、終盤に早くも轟音が炸裂し、ここで場内も沸く。続くは新譜『The Hawk Is Howling』からとなる『The Precipice』となり、高い演奏力を誇りかつ安定感のある、モグワイワールドが早くも繰り広げられる。
ステージは、向かって右にフロントマンでギターのスチュワート・ブレイスウェイト、長身ベーシストのドミニクが陣取り、左端にギターのジョン・カミングスが。つまり、中央部のスペースはまるまる空いている。後方にはひな壇があり、向かって右にドラムのマーティン、左にキーボードのバリー・バーンズという配置だ。ひな壇の後方には、6基のライトが設置されていた。フロアはほぼ満員のすし詰め状態で、このバンドの人気の定着ぶりが伺える。
スチュワートの前にだけマイクスタンドがあって、1曲終わる毎に「thanks♪」「アリガトウ♪」と、結構マメにひと言入れるスチュワート。ドミニクやジョンはほぼ直立不動で淡々と弾いている状態だが、スチュワートだけは上体をゆったりと揺らしながら気持ちよさそうに弾いていて、そのコントラストも観ていて面白い。マーティンのリズムキープはやや微妙だったが、実はこの人はペースメーカーを入れていて、去年の秋にそれが皮膚を傷つけてしまい、北米ツアーをキャンセルしている。そうした背景を考慮すれば、こうしてツアーができているだけでも御の字と思うべきだろう。
今回は新譜『The Hawk Is Howling』でのツアーなので、当然ながら新譜からの曲がライヴの軸を形成する。この新譜はどちらかというと静寂と美メロを重視した仕上がりで、CDで聴く限り受ける衝撃は必ずしも大きくはない。ではあるが、ライヴとなると場の空気を引き締め緊張感を漂わすことに成功していて、さすがはモグワイである。そして、この日スチュワートがヴォーカルを取った唯一の曲は『Secret Pint』だった。初期の『Summer』も嬉しい選曲で、バリーの鍵盤の音色がまるでトライアングルのように澄んでいたのが印象的だった。
淡々としたビートに乗せて官能的な鍵盤のメロディが繰り広げられる『Friend Of The Night』は、前作『Mr.Beast』からだ。環境音楽的な要素を秘めながらロックとしての迫力もあって、非常に聴きごたえがある。フロア上部には大きなミラーボールが吊るされていてゆったりと回転していたのだが、この曲のときはステージ上のライトがミラーボールに向けて当てられ、反射光がフロア中に広がって幻想的な空間を作り出していた。モグワイが轟音ギター一辺倒のバンドではないことを立証する、素晴らしい曲だと思う。
更には、バリーが鍵盤を離れてステージ前方に躍り出てギターを手にし、『Helicon 1』となった。このときスチュワートはドミニクと楽器を交換、つまりドミニクがギターでスチュワートがベースを担当。スチュワートはひな壇に腰かけながら弾いていて、まるで目立つことを避けるかのようだった。この曲のイントロもロバート・フリップ風で印象的だが、それを発しているのはバリーだった。終盤の轟音ギターノイズを担っているのがバリー、ドミニク、ジョンの3人で、スチュワートがここに絡んでいないというのも面白い。
そして『Batcat』だ。ヘヴィーメタル期のキング・クリムゾンのような重厚なリフ、それでいて(モグワイにしては)キャッチーなメロディーから、新譜の顔的な位置づけに当たる曲ではないかと思う。演奏そのものはダイナミックであり、発せられる音はパワフルでストレートに迫ってくる。これで本編が終了するのかと思いきや(実際、前日のリキッドルーム公演ではこの曲がオーラスだった)、更に追い討ちをかけるかのように今度は新譜の冒頭である『I'm Jim Morrison, I'm Dead』ときた。そして本編ラストに持ってきたのは、終末感漂う『We're No Here』だったのだ。
アンコールは『Hunted By A Freak』で始まった。バリーが鍵盤を弾きながらヴォーカルを入れてはいるのだが、ヴォコーダーを使っていて、ことばを伝えるというよりは楽器のひとつとして音声情報を導入しているようだった。そして、曲が終わりそうになった頃にスチュワートが必殺のリフを奏で、これだけでフロアはざわついた。バリーは鍵盤を離れてギターを手にし、この日何度目かのトリプルギター編成になった。スチュワートが延々とリフを続けていて、やがてそれにマーティンのドラムが絡み、曲が本格的に始まった。問答無用の、『Mogwai Fear Satan』が。
この曲を体感するのも何度目かで、さすがに慣れた私は、今回はもう少し細かいところに注目することにした。それは、各メンバーの状態だ。この曲の最大の見せ場は、後半に向けて徐々に音数を減らしていき、静寂を作ってその後一気に爆音に転じるところにあるのだが、その過程がどのようにして作られていくのかを、メンバーの動向を見ながら追うことにしたのだ。
さて、そのフェーズに差し掛かると、バリー、ドミニク、ジョンの3人は少しずつ手を止め、ついには完全に演奏を止めた。マーティンも徐々にビートを弱めていくが、その視線の先にあるのはスチュワートだった。他の3人もスチュワートを見ていて、つまりこの場をコントロールしているのはこの人なのだとわかった。そのスチュワート、小刻みにうつむき気味で体を揺らしながらリフを刻んでいて、その音数を少しずつ減らしていった。どこでスイッチが入るのか。どこで静から動への転化が行われるのか。スチュワートの動向を見守っていた。
やがて、スチュワートが上体を起こした。それが合図になって各メンバーがリフとビートを発し、爆音が一気に襲いかかって来た。ライトも眩いばかりに閃光し、それが爆音とシンクロして極上の空間が作られた。何度も体感していると先に書いたが、このカタルシスはやはりやめられないし、この曲が演奏されるのとされないのとでは大きな違いがあるように思う。演奏はなおも続けられたが、最後はスチュワート以外の4人がまずステージを後にし、残ったスチュワートは機材をいじってノイズをループさせてからステージを去った。無人となったステージは、しばらくの間ノイズが鳴り響いていた。
もちろん聴きたかった曲は他にもあるが、つまりそれは、モグワイはキラーチューンをいくつも抱えたバンドに到達していることの証明に他ならない。個人的には、2001年に観た赤坂Blitz公演がベストだったが、この日の公演はそれに並ぶ出来だったのではないかと感じている。そして、この時期に単独来日を果たしたということは、夏に行われるフジロックフェスティバルへの参戦が期待される。これまでモグワイはレッドマーキーに1回、ホワイトステージに3回出演しているが、そろそろ彼らの音がグリーンステージに轟いてもいい頃なのではないかと思っている。
(2009.1.12.)
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