Paul McCartney 2002.11.13:東京ドーム
まさか、ポール来日がこうまで騒がれるとは思わなかった。音楽メディアはもとより一般メディアでの露出度も高く、9日の来日以来ポールのニュースが連日テレビや新聞をにぎわせている。そして会場となる東京ドームも、やはりすごい人の数だった。さすがはポール。というか、ビートルズパワーなのだろうけれど。客の年齢層はかなり高めに見えた。
7時10分頃に客電が落ちるが、いきなりライヴではなく、中世の貴族や道化師のような格好をした人が出てくる"プレショー"だった。これが20分ほど続いた後、ステージ中央にあった白いスクリーンにベースギターの大きなシルエットが映る。そして、腕を高く突き出したポールのシルエットも!やがてそのスクリーンがせり上がり、ポールがその姿を見せる。アリーナ席はペンライトの光で埋め尽くされ、興奮のどよめきが沸き起こる。
オープニングは、『Hello Goodbye』だ。ポールはジーンズにブルーの上着で、インナーは赤いシャツ。90年や93年のときは黒づくめのピシッとした衣装だったと記憶していて、今回はかなりラフな格好だ。バンドメンバーは4人。ポールの両サイドには若いギタリストが陣取り、後方右にはドラマー、左にはキーボードという配置。キーボードの人は90年のツアーから帯同している人のようで、他3人はツアーミュージシャンとして活躍している人らしい。ステージは両端が8面の大きなスクリーンになっていて、また中央上部や後方にも数面のスクリーンがある。
初期ビートルズナンバー『All My Loving』を歌い終えたところで、ポールのMC。「コンバンワ、トーキョー~♪ミンナ ゲンキカイ?」という日本語に続いて、英語でぺらぺら喋り出す。すると、ポールのことばより少し遅れて日本語訳がスクリーンに。今回のツアーはMCが多いようで、それを日本のファンにもしっかりと伝えるべく、こうしたことをしているようだ。通訳スタッフは、8人を要しているとのこと。どうしても間延びする感が拭えないが、しかしこうした試み自体は素晴らしいと思う。
イントロのリフが印象的なビートルズナンバー『Getting Better』を経て、序盤は比較的ソロの曲を中心に進む。歌い終わってはベースを高々と掲げ、そしてMCといった具合だ。昨年リリースされた『Driving Rain』からも3曲を披露。タイトル曲では歌詞に合わせるように数字がスクリーンに羅列され、『Your Loving Frame』は「ヘザーのための曲」と言ってピアノを弾きながら歌う。この人の活動には、とにかく谷間というものがない。最長では90'sの4年のインターバルがあったが、この時期はビートルズのアンソロジープロジェクトを手がけていたので、決して休んでいたわけではないのだ。
続いてステージはポールひとりになり、アコースティックセットに。まずは『Blackbird』。ビートルズ時代の曲だが、70'sのウイングスの時代から歌い続けられている数少ない曲だ。よほどのお気に入りなのかなと思っていたら、黒人女性に対する差別を悲しんだ曲だという、ポール自らの解説があった。続くソロ第1作『McCartney』からの『Every Night』を経て、ビートルズナンバーが続く。アルバム『Abbey Road』のメドレーを集約する形で、『You Never Give Me Your Money』から『Carry That Weight』へと、オルガンを弾きながら歌うポール。続く『The Fool On The Hill』は、改めて聴くと意外なほど素晴らしい名曲であることに気付かされる。
間延びしまくっているMCと同時通訳だが、しかし次の場面ではこの通訳が効力を発揮した。ジョン・レノンのことを歌った曲と言って『Here Today』を歌い、続いては昨年亡くなったジョージ・ハリスンの『Something』を、ジョージからもらったというウクレレ1本で歌ったのだ。特にジョージのくだりでは、自宅に招待されるとウクレレがたくさん飾ってあって、食事が終わるとジョージがウクレレを弾いてくれたという、エピソードを披露してくれた。『Something』は、今回ポールが歌う唯一の自分以外の人が書いた曲で、それはもちろんジョージ。亡くなったのが昨年の今頃ということと、私自身11年前にジョージのライヴを観ているので、少しぐっときてしまった。
ここでメンバーが生還し、再びバンドセットでの演奏となる。『Eleanor Rigby』に『Here There And Everywhere』という『Revolver』からの2曲と、『フランス ニ イコウゼ』という、よくわからないMC(笑)の後の『Michelle』だ。しかし私にとってのこのライヴのハイライトは、次の瞬間だった。それは、ウイングス時代の代表曲『Band On The Run』だ。穏やかなイントロで始まって序盤は淡々と進み、それが途中でテンポが変わるという、何度聴いても不思議に感じる曲だったのだが、これがとてつもないスケール感に溢れた演奏で発せられ、だだっぴろい会場をも味方につけた。正直、この曲でここまで感動するとは思ってもいなかった。
私は今回のポール来日に際し、今まで聴いていなかったソロ時代のアルバムもいくつか聴いてみた。中でも最も気に入ったのが第1作となる『McCartney』なのだが、ポールのビートルズ脱退声明の直後のリリースというタイミングや、ビートルズとは全く違う路線の音楽だったために、当時はまっとうな評価を得られなかった作品だ(もしかすると今もかな?)。しかし今回はここから2曲が選ばれていて、それは前述の『Every Night』と『Maybe I'm Amazed』だ。リリースされてからもう30年以上経つというのに、今年還暦を迎えたポールはその当時と同じキーで歌い、ピアノを弾く。時の流れという審判に、ポールは勝ったのだ。
同じくピアノを弾きながら歌う『My Love』は、長年公私に渡ってポールを支え、そして癌で逝ってしまった前妻リンダに捧げた曲だ。今のポールを突き動かしているものは、ジョンやジョージ、そしてリンダといった、自分の近くにあって共に支え合い、あるいは刺激し合ったものたちへの想いなのだろう。そして自分はまだ生きている、まだやれるんだという想いではないだろうか。
本編後半は、怒涛の名曲攻撃となった。疾走感溢れる『Can't Buy Me Love』では64年頃と思われるビートルズの映像が、サビのところでマグネシウムが弾ける『Live and Let Die』では映画「007」の映像が、スクリーンに映し出された。そして名曲『Let It Be』から、最後は『Hey Jude』へ。このビートルズ最大のヒット曲はもともと7分オーバーの大作だが、ライヴでは更に拡大。終盤のサビのところではポールは立ち上がり、オーディエンスに合唱を呼びかける。そうして約10分に渡って曲は演奏され、最後はメンバーがステージの前方に出てきて肩を組んで挨拶した。
しかしほとんど間を開けずに再登場となり、アンコールへ。『The Long And Winding Road』『Lady Madonna』『I Saw Her Standing There』という、怒涛のビートルズナンバーだ。それぞれ作られた時期の異なる3曲だが、ポール本人は歌いながら何を思うのだろう。ここでまたまたステージを後にするが、またもや間を開けずに今度はポールひとりだけで再登場。下がる意味があるのだろうか(笑)。
アコースティックギターを弾きながら、『Yesterday』を歌うポール。イントロに場内はわっと沸いたが、以降は固唾を呑んで曲に聴き入る。先ほどの『I Saw Her Standing There』のときとは打って変わって静かになり、5万人もいるのが信じられないくらいだ。その中を、ポールの歌声と穏やかなギターの音色だけが響き渡る。最後はまたまたバンドセットに戻り、『Sgt. Pepper's Lonely Heart's Club Band』のリプライズ版から『The End』へ。原曲ではリンゴ・スターが叩いていた激しいドラムを、この日ポールに次いでスクリーンに映る回数が多かった、ゴツい(そして愛想のいい)ドラマーが叩く。ラストはポールのピアノの鍵盤を叩く音と、「君が受ける愛の大きさは、君が与える愛に等しい」という、実質的にビートルズの幕を引いた印象的な歌詞で、ライヴは締めくくられた。
89年や93年のワールドツアーがそうであったように、今回もビートルズナンバーが過半数を占めた。新作『Driving Rain』からは3曲のみで、これはポールの集客能力や、ファンのニーズを考慮しての選曲だと思われる。日本では東京と大阪のそれぞれドームの公演となったが、例えばドームではビートルズナンバーを中心に、そしてアリーナでソロの曲を中心にといった具合に、2種類のセットを用意してスタジアムクラスの会場とアリーナクラスの会場で公演をするといったことができると、もっといいのになあ。個人的には9年ぶり2回目のポールのライヴとなったのだが、今回はソロとなってからの曲の方が心に響いた。「ビートルズの」という枕詞がポールにつきまとうのは仕方がないとしても、「ビートルズ以降の」ポールの活動というのも、もっともっと評価されて然るべきだと思うのだ。
(2002.11.17.)
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