Beck 2000.5.30:日本武道館
私の前には誰もいない。私の2メートル前方にはステージがあるだけだ。
今まで数多くのライヴに足を運んだが、その中でも武道館は最も多く門をくぐった会場だ。1階席、2階席・・・。さまざまな位置、さまざまな角度からライヴを体験した。アリーナはというと、端の方や中段のブロックでは何度か見たことがある。
しかし、この日私が握りしめていたチケットは、なんと真正面のブロックの最前列だった。後にも先にも、もう体験できないだろうと思われるベストポジションだ。私の前に人はいない。私の後ろには、大勢のオーディエンスがいるという格好だった。
午後7時を10分ほど回り、客電が落ちてバンド登場。結構大所帯である。もちろん最後に姿を見せるは本日の主役であるベックその人だ。オープニングは『Lazy Flies』。沸き上がる場内をよそに、静かなスタートである。シンプルでさりげないアコギの音色が、気持ちよく響く。
柵にかぶりついてステージを見上げる。フジロック'98で2万人総モッシュを引き起こしたベックを、こんな間近で観ることができるとは!細身。なで肩。長髪でぼさぼさのブロンドヘア。まだら模様のパンツ。ぺらぺらなブルーのマント。そればかりか、アコースティックギターをつまびく指使いや左手に光る指輪。更にはベックの口元から溢れる微笑や眼球運動までもが手に取るようにはっきりとわかる。
ハーモニカをセットし、ファンタジックなイントロの『Jack Ass』。更には『Lord Only Knows』をアコギで爪弾くベック。今回の日本公演、セットリストはほとんど日替わりなのだが、序盤ここまでアコースティックセットが続いたのは珍しいことなのではないか。そして私はこの出だしを大歓迎する。ベックの一挙手一投足をじっくり追うことができたことと、もうひとつ。アルバム『Mutations』と昨年のジャパンオンリーツアーを経た成果があったのだと思うし、アコースティックがベックの音楽性の中で重要なファクターを占めることのなによりの証明になるからだ。
そしてギアチェンジ。ダダッダダダッという鈍いドラム。怠惰なギターイントロ。『Loser』だ!94年に初めてこの曲を聴いたときは、なんだかけったいな曲で妙なヤツが出てきたなあぐらいのイメージしか持てなかった私だが、ポップチューンを底辺にしてダンスミュージックとヒップホップとカントリーが融合されたこの曲こそは、ベックがシーンに鉄槌を打ちつけたその最初の一撃である。
『Mixed Business』のところでバンドメンバーを紹介。丹念にひとりひとり歩み寄り、アイコンタクト。今回のバンド編成は、g、b、ds、key、ホーンセクションが3人。プラスしてコーラスの黒人女性が2名。DJ SWANPは最奥に陣取っている。しかしメンバーとのフレンドリーな交流を見るにつけ、バンドの中にファミリーのような結束感ができあがっているようにも思える。自分ばかりが前面に、ではなく、メンバーみんなを引き立たせようという、ベックの思いやりが伝わってくる。
もしかしたら・・・なのだが、この日のライヴの出来は今ひとつだったのかもしれない。所々でオーディエンスの反応が鈍く、ベック本人がしきりに煽ることもあった。『Nicotine & Gravy』ではオーディエンスとの掛け合いをするところがあったのだが、ノリの悪さにいったん曲がストップされた。「ココはトキオ?フクオカ?フクオカはスゴかったゼ!」と言い放つ。ちなみに福岡はZEPPだった。オールスタンディングの小さいキャパでは、白熱して当然か。あるいはかねてから危惧されていた椅子席が災いし、動きたくとも自由に動けない設備状況がいけなかったのか。終盤、「ガンバッテー、トキオ~」なる即興の曲まで披露するベック。歌詞がよく聴き取れなかったが、ノリの悪いオーディエンスを嘆くように見て取れた。gやbの兄ちゃんが必死で煽る場面も何度かあった。
しかし、顔となる曲のときは間違いなく場内は沸き上がっていたし、ステージ端の方にベッグが歩み寄ったときは2階席まで蜂の巣を突っ突いたような騒ぎになっていた。もちろんベック本人のパフォーマーとしての力量は相変わらず圧倒的だ。声量の幅といい、ステージ上を縦横無尽に駆け巡るフットワークの軽さといい、足を目一杯広げてのジャンプといい、ロボットのような仕草のパントマイム、しゃがみ込むときのぴしっと決まるポーズなど・・・。切れの良さは一層冴え渡っている。華奢で体重も軽そうなのに、バテることもなくエネルギッシュに動き回る。ベックやバンドに何の落ち度もあったように見えない。
『Midnite Vultures』は、本人も公言している通りダンサブルでファンキーなアルバムだ。日本のファンにとっては、フジロック'98以来ずっと見え隠れしていた『Odelay』以降の新たなベクトルが、まさに今回のアルバムに結実しているのだろう。私は『Midnite Vultures』を停滞とも、増してや後退とも思わない。一層図太くなり、前のめりに突き進んでいるベックのスタンスを感じ取っている。そして今回のツアーはキャリアの集大成であり、現時点のベックが発揮し得るポテンシャルが全て注ぎ込まれているのだ。
中盤のハイライトとなった『Debra』。というか、もっと終盤に持って来ると思ったのに。ここでステージ上部にずっと吊るされていたベッドがするすると降りてくる。そのベッドに飛び乗り、寝起きの仕草やリモコンでテレビをつけるような仕草を見せる。そして、他のメンバーもベッドの中に来るように手招き。ひとり。またひとり。最後はdsを残して全員がベッドにもぐり込む。場内からは笑いが漏れる。しかしこのときのファルセットは凄い。シャープな声が冴え渡り、天井を突き刺す。耽美的な香りが武道館を支配する。
と、ここで何度目かのギアチェンジでボサノヴァ調の『Tropicalia』。再びアコースティックコーナーに突入する。昨年のライヴで打ちのめされ、ベック観を大きく変えさせられた私にとってはこの展開は嬉しいのだが、正直意外だった。日本公演を通じてもかなりレアなセットリストの日になったのではないだろうか。更にステージ上はベックただひとりとなり、『Dead Melodies』『Nobody's Fault But My Own』へと続く。『Nobody's Fault~』はステージに仁王立ちする小柄なベックの姿には、大地に根の生えたような存在感とずしりとした重みがあり、神々しさを発していた。
本編ラストはやはり来たか!という感のある『Where It's At』だ。私はこの日のライヴに備え、前日にWOWOWで録画していた96年のフェニックスフェスティバルの映像を見ていた。そこではこの曲はシンプルなアレンジに留められていた。一方、私が体験したフジロック'98、及び昨年のライヴでは、場内全てを渦の中に巻き込むような脅威的なパワーを備えた曲に生まれ変わっていた。これもベックが前進していることの片鱗だと思っている。椅子があろうとなかろうと関係ない。飛んだ。跳ねた。叫んだ。弾けた。素晴らしき空間と時間を体感しつつ、そして次なる期待を膨らませる。
アンコールは、DJ SWANPがひとりで登場しプレイ。宇宙服のような姿はどういう意味?スクラッチを次々に刻み、体を回転させる妙技も披露。やがて小ネタ。キンクスの『You Really Got Me』や『Wild Thing』、『Eye Of The Tiger』『Smoke On The Water』・・・。後半は去年と同じだな(笑)。最後はレコードを無造作に叩きつけて割ってしまう。ああもったいない。
バンドメンバーが登場。・・・が、皆かぶりものしたり、患者のように点滴をぶらさげたり、なんだかよくわからない。ハロウィンかよ。というか学芸会の出し物みたいだ(笑)。最後に出てきたベックだけが衣装としてはまともだ。そして『Sexx Laws』である。『Midnite Vultures』の名刺的位置付けであり、痛快なテンポが気持ちいい。更に、後半でgの兄ちゃんが弾くバンジョーのポロポロ音が微笑ましい。
そして本当のラストだ。もちろん『Devil's Haircut』である。幾分スローに落としたテンポがルーズな雰囲気を醸し出し、私たちは最後となる歓喜の瞬間を噛み締める。バンドメンバーもやりたい放題。gやbの兄ちゃんはステージ上をのたうち回る。演奏が終わり、ベックを含め他のメンバーがステージを後にする中、2人だけがしつこくステージに留まっている。あたふたしながら帰るところで客電の方が先についてしまった。
ヘッドフォンでCDを聴いていても、そしてほとんどのライヴでも、アーティストと自分との間にはある程度の距離感というものが存在している。それが、この日のライヴは私にとっては異なるものになった。私とベックとの間には、わずか2メートルの距離しかなかった。その2メートル向こうにたたずむベックに、私はオーラを感じなかった。
しかし、ベックがオーラを発していなかった、というのは恐らく間違いなのだろう。自惚れた言い方をすれば、私はベックが放つオーラの内側にいた。オーラとは、アーティストが周囲との間に保とうとする距離感であり、私はそのボーダーラインを踏み越えてしまったのかもしれない。そしてそこにいたのは、時代の寵児でもカリスマでもスターでもない、ひとりのなで肩の兄ちゃんだった。私たちと少しも変わらない、ひとりの人間だった。
(2000.5.31.)
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