Bauhaus 98.10.18:東京国際フォーラム ホールA
有楽町駅周辺、やたら"黒い人"が多い(笑)。もうこの人たちが行くところは決まり切っている。それにしても、こういう人たちって、普段どこで何をしてる人たちなんだろうって思ってしまう。私は白い長袖のFRF97記念Tシャツだった。もしかして、バウハウスを観るには最もふさわしくない格好だろうか。レディオヘッド以来の国際フォーラムだが、あのときのように長蛇の列もなく、すんなり中に入ることができた。そして、FRF98を一緒に観に行った友人とそのとき以来の再会を果たす。座席は2階7列目のほぼステージ正面だった。レディオヘッドのときよりいいポジションだ。定刻を15分ほど過ぎたところで客電が落ちる。SEが鳴り響く。場内が期待と興奮でざわつく。SEはややしばらく鳴り響き、もういい加減にしてくれ(笑)と思ったそのときに、あの潜水艦が浮上するようなイントロが響き渡る。そう、オープニングといったらもうこの曲しかないだろう。『Double Dare』だ。幕が開く。いよいよだ。
ステージ奥にはdsのケヴィン・ハスキンス。向かって左はbのデヴィッドJ。右はgのダニエル・アッシュだ。そしてその間にいるのは、ではなく、あるのは・・・、な、なんとモニター。モニターにピーター・マーフィーの顔(CGのようにも見えた)が映り、そして演奏が始まる。やはり、と言うかいきなりの凝った演出だ。続いて『In The Flat Field』へ。ここでモニターが退いてピーター・マーフィー本人が登場する。スーツ姿だ。この美意識、たまらなくいい。まるで吸血鬼のような小奇麗さを感じる。ステージ上を右に左に激しく動く。カッコいい。デヴィッド・ボウイ~イギー・ポップに相通ずるモノトーンっぽいvoも渋くていい。私の隣の女性二人組は「カッコいいっ」を連発している。
ほぼベストヒットに近い選曲で演奏は続く。照明は、スポットライトが個々のメンバーにあてられたり、フラッシュが閃光のようにびかびか光ったりはするが、基本的にはステージを暗く留めている。意図的なのだろうか。ピーター・マーフィーの動き、氷室京介とプリンスを連想してしまった。私だけか?激しくもしなやかで、そしてステージから客席を鋭く凝視し、手をかざし、差し伸べている。アルバム『Burnning From The Inside』の制作中にピーターと他の3人のメンバーとで決裂してしまい、その後しばらくツアーを続けるも(この頃に来日している)、結局は解散。今回の突然の再結成(やはり金が目的なのだろうか?)、もちろん私は嬉しいが、リアルタイムで体験した人にとってはやはり複雑な想いがあるのだろう。しかし、世界中に幾多のフォロワーを生んだそのルーツ、その底辺が、今、目の前で繰り広げられているパフォーマンスの中に垣間見ることができる。ラヴ&ロケッツは全米で商業的な成功も収め、2年前には来日も果たしたが、やはり、ピーター・マーフィーを中心に据えたこの編成こそがベストで、最もバランスがとれていて絵になる、と感じる。
ステージ上にわざわざスタッフが出て来て、幕でピーター・マーフィーを覆い隠し、その中で着替えをさせる。その間をつなぐダニエル・アッシュ。失礼だが笑う光景だ。そして『Boys』から『She's In Parties』へ。ここから急加速の様相を見せる。『She's ~』は、実は個人的には結構思い出深くて印象的な曲である。何故か私の弟の部屋のCD棚に『Burnning From The Inside』があった。弟はX JapanやLuna Sea、Buck-Tick、Die In Criesなど、日本のヴィジュアル系バンドをそのインディー時代から聴き狂っていて、それらのバンドがフェイヴァリットとして挙げていたのが他ならぬバウハウスであり、そこに興味を示して買って聴いていたらしい。そして私は、弟がそのCDにもう飽きたということで彼からそのアルバムを譲り受け、聴いていたのだ。ピーターと他のメンバーの意識がバラバラな状況下で作られたアルバムだが、しかしバンドの音楽的完成度は最も高い、と思っている。その1曲目であるこの曲。サビの部分でのダニエル・アッシュとデヴィッドJのツインコーラスもいい。観客のリアクションも良好で少し嬉しくなる。
この後、『Passion Of Lovers』『Dark Entries』と一気に続く。『Dark~』の演奏の途中でデヴィッドJはbを放り投げてステージを去る。演奏が終わり、ピーターとケヴィンが颯爽と去って行く。唯一ダニエル・アッシュだけが延々とgを弾き続けている。そして本編が終了。アンコールを求める強い拍手、しかしなかなか出て来ない。何故か間が空く。何をもたもたしているのか、と思ったら、再びメンバー登場。どうやらメンバーの衣装替えで時間がかかっていたらしい。どこまでもヴィジュアルに固執するんだな。シルクハットをかぶったダニエル・アッシュがピーターに耳打ちしている。そして、もう私は事前にわかっていたことなのだが、『Telegram Sam』の始まりだ!!会場内が花火でも投げ込まれたかのような騒ぎになる。ここまでほとんどの客は座って観ていたのだが、ここで総立ちとなる。予定通り、だな。そしてこの後はもう必勝リレーと言ってもいい『Ziggy Stardust』!!!
『Telegram Sam』のときには周囲の大熱狂をよそに醒めていた私だが、しかし、この曲にはさすがに心が揺れた。全身に力がみなぎるのを感じた。私はデヴィッド・ボウイを2度観ているが、『Ziggy』を生で聴いたのはそういえばいつのことだっけ・・・、と急に気になってしまった。記憶を掘り起こす。それは、私がまだライヴを見に行く習慣がつきだして間もない90年5月の東京ドーム公演で、1階スタンド席からはるか向こうに位置するステージを遠くから観ていたのだ。しかも、80's以降のボウイは、そのvoもさびれて高い音が出なくなってしまい、こもったような歌い方になってしまっている。それから比べると、ピーター・マーフィーのこの力強く、みずみずしく、そして美しい声によって命を吹き込まれたこの曲に、私は我を忘れてしまった。デヴィッド・ボウイは先輩後輩の隔てなくカバーしまくっている人で、その多くがオリジナルをしのいでいる、という才能を見せる人なのだが、しかし、バウハウスの『Ziggy』は、間違いなくボウイの原曲をしのいでいる。
美しかった。
間違いなくこのライヴのハイライトだった。
再び引っ込むメンバー。しかし、まだまだステージは続く。またもや着替えして(笑)再登場。日本人スタッフを呼び寄せてピーターが自分の言った言葉を伝えさせる。日本のファンに対する感謝、そして、モニターに関わっていた人(操っていたのか、それとも演じていたその人なのか、よく聞き取れなかったが)を紹介して彼をねぎらっていた。メンバー4人がステージ前に集結してアコースティックで『Spirit』を切々と歌う。ピーターマーフィーもgを弾く。ケヴィンはdsではなくkeyを担当。しかし、最後はkeyを離れてピーターと肩を組んで一緒に歌う。こんなフレンドリーな面も見せるとは、正直意外だ。
これで終了してしまってもおかしくない雰囲気だった。しかし、まだ"あの曲"を演ってはいない。そう、あの曲。そして、再度メンバー登場。ピーター・マーフィーはまたもや着替えている(笑)。ケヴィンのdsによるイントロが延々と続く。続く。そしてステージ前方に現れるピーター。マントを羽織っている。そう、まんま吸血鬼の格好。とくれば、曲はもちろん『Bela Lugosi's Dead』!!バンドのデビュー曲であり、やはり最重要な曲に位置しているのだろう。『Double Dare』に始まり、そしてこの曲で締める。やりすぎ、ともなるほど、ともこの人たちらしい、とも思える。"妖しいほどに美しい"彼らの美学を究極まで研ぎ澄ましたようなパフォーマンス。そして、メンバーが1人ずつステージを後にする。例によって?、ダニエル・アッシュがステージ上に寝転んだままgをひたすら弾き続け、そして終焉を迎える。終わった。約1時間40分だった。
彼らがこだわり続けてきたスタイル、それは普遍的な、そして不滅なもののように感じられた。それを確認することができた。それを堪能することができた。この後、それぞれの道に戻るのか、それともこのままの状態での前進が続くのか、なんか楽しみになってきた。6月のクラフトワークの来日、及びその後の活動と同様、98年の1つの大きな"事件"のように思われ、そして、その場に居合わせた幸福感を噛み締めている。
(98.11.29.)