Fuji Rock Experience Vol.14 Live Forever
素晴らしき3日間が終わり、8月2日の朝が来た。私は期間中ずっと駐車しっ放しだったクルマを取りに、また会場まで戻った。当然ながら客はまばらで、後片付けしているスタッフの数の方が多い。しかし、相変わらず砂埃がひどい。
思えば2年前のGW、Smashから届いたDMが全ての始まりだった。そのDMにはスキー場を会場として2日間に渡ってライヴを行うとあり、出演アーティストもそうそうたる顔ぶれが名を連ねていた。本当にこんなことが実現できるのかと、我が目を疑った。フェス開催のための準備は着々と進められ、HPには日々情報が更新され、掲示板には期待と不安が入り混じった、それでもフェスを待ちわびるファンの声が書き込まれていった。
しかし、周知の通り当日は台風の直撃を食らって大混乱になった。芝ははげ、ゴミが氾濫し、会場までの道路は違法駐車の車で埋め尽くされた。体力も精神力もギリギリまで追い込まれ、そんな中でもなんとか1日目は開催された。しかし2日目はやむなく中止に。なぜだ。どうしてなんだ。なんでこんなことになってしまったんだ。虚しさとやり場のない怒りが交錯し、マスコミのネガティブな報道が更に私たちを打ちのめした。
2年目。現地サイドの了承が得られず、会場がなかなか決まらない。結局、代替手段としての東京開催に落ち着くこととなる。アクセスを公共の交通機関に限定したことや、ゴミを回収するボランティア団体を導入したことなどが功を奏したのか、前年のような問題は激減した。参加者の意識も高まった。もちろんアーティストたちの渾身のパフォーマンスを忘れることはできない。しかし、ここでもマスコミの報道は相変わらずだった。まるでライヴを見ているオーディエンスがその場でばたばたと倒れてしまったような書き方をされた。もちろん事実無根だ。
そして3年目の今年。会場は苗場スキー場に決まった。日程も2日間から3日間に拡大され、ステージ数も増えることとなった。チケット代は高騰し、購入パターンが増えて複雑化もした。39,000円は確かにフトコロをえぐったが、それでもやはり高まる期待を抑えることはできなかった。私はGWと6月中旬の2回に渡って現地を下見した。そして毎年やっているように、気になるアーティストのCDを購入して本番に備えた。今年はネット上の友人も増えたので、彼らとテープ交換を行い、熱く語り合うこともした。
当日。開演前、場内はまったりとした雰囲気で、ほんとにこれからフェスが始まるのだろうか、という感じだった。清志郎の『田舎へ行こう』が鳴り響き、日高社長がグリーンステージに姿を見せたそのとき、ついに来た、3年目が。そして、フジロックの正念場が、という想いがこみ上げてきた。
それからのことは、ここで改めて繰り返す必要もあるまい。フジロック99は成功に終わったと私は思っている。最終日の夜、私がホテルに戻った後のことではあったが、トドスのライヴが終了した後、モニターには「See You Next Year At Somewhere」というメッセージが出たという。来年も、またどこかで。
しかし、ちょっと待って欲しい。
こんな、来年はあるのかないのかわからないような言い方はしないでくれ。
フジロックを、封印しないでくれ。
欧米にレディングやグラストンベリーがあるように、日本にはフジロックが必要だ。
私たちには、どうしてもフジロックが必要なのだ。
(99.9.18.)
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