Japan Rock Band Fes.2008 2008.5.18:日比谷野外大音楽堂
私は世代的にも地理的にも体験できなかったのだが、70年代は日比谷野音では複数の日本のロックバンドが集ってライヴを行うイベントが頻繁に行われていたようだ。そんな70年代に隆盛を極めたロックバンドたちが、この2008年に再び野音に集結。個人的には、久々の活動となる頭脳警察目当てでチケットを取り、好天に恵まれた野音のステージ向かって左の最前列に陣取った。
The Duet(オープニングアクト)
イベント開始時刻の20分前に、若い女のコ2人組が登場。ひとりがリードヴォーカル、もうひとりがアコースティックギターとバックヴォーカルとなっていて、約30分のライヴを行った。「戦争」「反体制」などをテーマとしていたのだが、見た目は今どきの女のコ、声も歌い回しも垢抜け過ぎていて、歌っている内容とはあまりにもかけ離れていて違和感ありあり。彼女たちが「なぜ」このようなテーマを歌にしなければならないのかを、彼女たちの表現からはどうしても感じ取ることができず、自らの意思により歌っているというより、誰か黒幕がいてその意思のままに歌っているのでは?と邪推したくなった。
めんたんぴん
ザ・デュエットが少し押したがために、定刻より15分ほど遅れて登場。石川県金沢市の出身、「日本初のツアーバンド」だそうで、ステージに陣取るメンバーは計6人。うち3人がギタリストだった(ひとりはサポートのようで、その人が最もテクニックを発揮していた)。音はサザンロック~フリーセッション風で、ゆる~いギターリフとハモンドオルガンの音色が心地良く響き渡った。当人たちはグレイトフル・デッドを意識し、また影響を受けているらしい。MCでもいろいろな人に感謝の意をささげていて、その中にジェリー・ガルシアの名もあった。金沢から遠征してきたファンもいたらしい。
紫
沖縄出身のバンドで、ステージのバックドロップには赤と黄色による日章旗風の旗が掲げられ、その中心に「紫」の字があった。5人編成で、ヴォーカルがなんとマッチョな外人。歌詞はほとんど英語だったが、MCでは日本語を話していて、フレンドリーなたたずまいだった。ハモンドオルガンの人がリーダーらしく、そしてベーシストとドラマーがこのリーダーの子供らしい。音はとにかく爆音で迫力があり、バンド名よろしくディープ・パープルを強く意識したかのようなハードロックチューンを連発。しかし、ところどころにプログレ風のフレーズも織り込まれていた。
頭脳警察
フランク・ザッパの『Who Are The Brain Police?』がSEとして流れ、メンバーがそれぞれ持ち場についた。Pantaもいつのまにかステージに登場していたが、気づくのに遅れてしまった。なぜ遅れたのかというと、Pantaの体形がスリムになっていたからだ。この人を観るのは2006年のカウント・ダウン・ジャパン以来で、そのときも体形が以前より絞れていることにびっくりしたのだが、これが現在のPantaのモードなのだということを、私は実感した。Pantaはフードを被っていて、表情は伺えないようになっていた。
頭脳警察のライヴのオープニングといえば、『銃ととれ!』が鉄板だが、この日はなんと『真夜中のマリア』で幕を開けた。末期のナンバーであり、しかもインストである。またも意表を突かれてしまったが、しかしもちろんこれは大歓迎である。すかさず緊迫感漂う『戦慄のプレリュード』へとつなぎ、ここでPantaはフードを取り、表情をあらわにした。サングラスをかけていて、やがてジャケットも脱いでスリーヴレスのベスト姿になった。PantaとToshiがステージ中央に陣取っているのは言わずもがなだが、今回2人を支えているのは、近年のPantaのソロ活動をサポートしている「陽炎」だ。ギター、ベース、キーボード、ドラムで、つまり計6人編成になっている。頭脳警察にキーボードが入るのはとても珍しいと思っていて、それが音的にはとても新鮮だ。
曲は『ふざけるんじゃねえよ 』『さようなら世界夫人よ』といった定番はもちろん、新曲(ライヴでは以前から演奏されていた)『時代はサーカスの像に乗って』や、Pantaのソロの曲『7月のムスターファ』といった曲も披露された。特に『7月のムスターファ』のときは、イラク戦争のときフセインの孫ムスターファが、たったひとりで米兵と1時間戦って絶命したことを知り、これはどうしても歌にしなくてはならないと思い書いた曲だとPantaがMCで補足。ムスターファがどんな気持ちで米兵に立ち向かったのか、いやそれ以前に、こういうことがあったということすら私は知らなかった。やみくもに反戦を叫ぶのではなく、着眼点が見事でさすがはPantaである。そして『銃をとれ!』へとなだれ込んで行き、ラストは『Blood Blood Blood』。Toshiは、パーカッションセットをなぎ倒してステージを後にした。
ブルース・クリエイション
「最初で最後の再結成」という看板を掲げてはいたが、頭脳警察の熱いライヴの後で、果たしてトリとして大丈夫か?という不安がよぎった。しかし彼らは彼らのペースを崩すことなく、見応えのあるライヴをしてくれた。ヴォーカル、ギター、ベース、ドラムというオーソドックスな編成で、歌のパートでは当然ながらヴォーカルが引っ張るが、間奏に入るとギタリストの独壇場となり、ヴォーカルの人は妙な踊りをして場をつないでいた。ちょうどライヴが始まる頃と日没とが重なる形となり、神秘的な野音の空間をバックに、ブルース~フュージョン~ロックのサウンドが響き渡った。トリの特権で、アンコールも披露した。
セッション
ブルース・クリエイションが下がった後もライヴが終わる気配がなく、もしやと思っていたら、最小限のセットチェンジがされた後にめんたんぴん、ブルース・クリエイションのメンバーらが登場。つまり、即席のセッションへと突入したのだ。まずはブルース調の曲をこなした後、めんたんぴんのヴォーカルがPantaを呼び出し、結局、紫以外のバンドのメンバーがステージに勢揃い。そして曲は、『コミック雑誌なんかいらない』だ!なんだかんだ言いながら、セッションしやすい曲なのね、これ。最後はPantaが混成バンドを仕切る形になって進められ、数時間に渡って行われたイベントの幕が閉じた。
この日のイベントには司会がいて、ダディ竹千代という人だった。カルメン・マキのマネージャーを務めていた人だそうで、自らもバンド活動を行い、70年代を知る人にとっては懐かしい名前だったようだ。めんたんぴん、紫、ブルース・クリエイションについては、これまで活字でしか情報を得ることができず、日本のロック史にその名を刻んできた大御所たち、というイメージしか抱けなかったのだが、今回本物を目の当たりにできたのを嬉しく思っている。この日の客席は残念ながら満席とはならず、7割くらいの入りだったように見えた。そしてその年齢層は、40代から50代と思しき人たちが大半を占めていた。
個人的には頭脳警察の音楽を聴き込み、親しんでいて、強い思い入れを抱いているバンドでもあったので、他のバンドよりも贔屓目に観てしまうだろうというのは、イベントに行く前からあった。がしかし、そうした過剰な思い入れを差し引いたとしても、この日の頭脳警察は圧倒的だった。それは、頭脳警察の音楽と頭脳警察の表現が今現在でもなお機能し、頭脳警察の存在が今の世の中に必要とされていると実感できたからだ。頭脳警察は「伝説の」バンドでありながら、「現在進行形の」バンドでもあるのである。
(2008.6.1.)