Journey 2004.10.17:東京国際フォーラム ホールA
70's後半から80's前半にかけて商業的に全米の頂点に立ち、日本でも人気の高かったジャーニーが、紆余曲折を経ながらも現在も活動中。そして何年ぶりかになる来日も決まり、これがほぼ全国ツアーに。東京初日はなんと売り切れになり、追加公演まで出るという勢いだ。今回縁あって、私はこの追加公演に足を運ぶことになった。
さすがに追加公演ということもあるのか、2階席は無人。1階席も後方には空席があるという具合だったが、バンドのピークをリアルタイムで体験されたであろうファンによる熱気はすさまじく、客電が落ちたときの期待感こもった歓声は尋常ではない。ステージ後方のスクリーンには「JOURNEY」の文字が右から左に流れ、イントロのSEが流れる中をメンバーが登場し、ライヴが始まった。
ステージは、向かって右にギターのニール・ショーン。野球帽をかぶっていて、結構小柄だ。向かって左にはベースのロス・ヴァロリーで、この2人がジャーニー結成時からのメンバー。左奥にはキーボードのジョナサン・ケインで、この人は80's前半の大ヒットの立役者的存在だろう。そして前中央の長髪のヴォーカル、後方中央のドラマーの2人が、近年加入したメンバーのようだ。
2曲目が映画のサントラに提供した曲『Only The Young』で、ああなつかしいなあなんてしみじみしていたら、お次はニール・ショーンによるギターソロのコーナーに。この人は初期サンタナのバンドメンバーであり、ギタープレイで御大サンタナと互角に渡り合っていたのだそうだが、ここではまるでギターを自分の手足の一部、いや延長のように操り、泣きの音色を目一杯繰り広げている。序盤はニールを中心にしたギター重視の演奏が多く、ジョナサン・ケインもギターを手にしてセッションに加わっていた。
大半の曲ではもちろんヴォーカルの人が歌い、またマイクスタンドを振り上げるなどして盛り上げ役を担っているのだが、このバンドは曲によりリードヴォーカルが変わる様子だ。ロス・ヴァロリーも1曲ブルース調の曲を歌い、ニールがなんとジミヘンの『Voodoo Child』を歌う場面も。ジョナサンがキーボードソロに続いてリードヴォーカルを取った曲もあって、こうして中盤はヴォーカリストが目まぐるしく変わり(この日はなかったが、公演日によってはドラマーも歌ったそうだ)、更には演奏の技量を競い合うような格好になった。
途中10年ほど活動休止期間があったとはいえ、キャリアの長いバンドなので、メンバーひとりひとりの演奏力は見事であり、観ていて安心していられる。このバンドのイメージはというと、どうしても80's前半の大ヒット期になってしまうが、初期はインストを主体としたプログレバンドのようだったし、スティーヴ・ペリー加入後は徐々にハードロック寄りになっている。プログレとハードロックを股にかけ、更にポップになって成功したバンドと考えれば、その存在感は一段と凄みを帯びたように思えてくる。特にライヴの場では、こうしたさまざまな要素があちこちに見え隠れしているのだ。
全員によるコーラスがぴたっと決まった『Feelin' That Way/Anytime』を経て、映画「海猿」にも使用されている『Open Arms』へ。いよいよ、これぞジャーニーというヒットチューンが畳み掛けられる予感が漂う。それはまさしくその通りになり、『Escape』『Faithfully』『Don't Stop Believin'』と、怒涛の攻撃が始まる。ここで映えているのは、やはりジョナサン・ケインの妙技。この人はL字型に並べられた真紅のピアノとキーボードを、ほとんど立ったままで弾いている。時にはギターを抱えて弾きながら鍵盤を叩くという凄まじさで、しかし音の方は甘くてメロディアスだ。
そして場内がピークに達したのが、『Separate Ways(Worlds Apart)』のイントロが響いた瞬間であろう。しかし今回のヴォーカリスト、その声色はスティーヴ・ペリーに似てはいるもののそこまでのパンチはなく、またどことなく声ががさがさしていたように聞こえ、たぶん本調子ではなかったのではないだろうか。・・・というケチをつけたにしても、この激しい勢いはどうしようもない。こうしてライヴはアンコール1曲を含む約2時間に渡り、そして幕を閉じた。最後はメンバーが横一列に並んで礼をし、ギターのピックやらドラムのスティックやらを投げまくりだった(笑)。
このライヴに当初行く予定のなかった私にとって、80's前半に一世を風靡した大ヒットバンドというイメージに留まらない、バンドが経てきた複雑な歴史を知るいいきっかけになった。そして当日だが、客の熱狂ぶりにせよ、バンドの演奏力の高さにせよ、とにかくいい意味で意外なことだらけのライヴとなったのだ。
(2004.10.22.)