早川義夫/遠藤ミチロウ 2002.11.3:和光大学A棟前ステージ
私が大学を卒業して、もう10年以上が経つ。卒業後は、学園祭どころか自分の母校に足を運ぶことすらなかったのだが、それが今回、和光大学の学園祭におじゃますることになった。早川義夫、そして遠藤ミチロウのライヴがあるからだ。学園祭でプロのアーティストのライヴが行われる場合、学生向けに料金が低めに設定されていることがほとんどだと思うが、しかしなんと、ココは入場無料だ。
和光大学は、東京町田市の閑静な住宅街の小高い丘の上にあった。入り口からは結構急な坂になっていて、登り切ると棟が並び立ち、その手前にステージがあった。屋外だ。ステージはいちおう鉄骨で作られライトも設置されているが、床や後方の壁はベニヤ板で、そして屋根は青いレジャーシートで覆われている。丘の上ということもあって非常に風が強く、このレジャーシートがばさばさと風になびき、今にも飛ばされそうになっていた。決して豪華な作りではないが、学生さんの手作り感がにじみ出ていて好感を持った。
午後一から学生のバンドが何組か出演していて、日が沈んだ5時半過ぎくらいから、早川義夫のライヴのセッティングが始まった。最初はスタッフが機材の配置をしたり音のチェックをしていたが、やがて当人たちが登場し、自らチェックを始める。早川はステージ中央のキーボードの前に座り、マイクの位置などを確認。向かって右がバイオリンとアコーディオンのHONZIという女性。そして左は、名プロデューサーであり四人囃子のベーシストでもある佐久間正英だ。おのおのが準備を進めている中、いつのまにか早川が「あと何日、あと何日~♪」と歌い始め、他の2人もそれに合わせて演奏を始める。緊張感が漂い、お、ライヴスタートかと思いきや、実はリハーサルだった(笑)。この1曲を完奏すると3人はいったん下がり、10分ほどしてから登場。今度は本番だ。
屋外とはいえ、ステージ前はライヴハウス並の狭いスペースしかなく、学生バンドのときは人もまばらだったのだが、いつのまにか何10人もの人が集まっていた。オープニングは、いきなり『サルビアの花』だった。私は早川義夫のライヴを観るのは今回が初めてで、それ以前にはテレビでこの曲を演奏している姿を1度観たことがあるだけだった。そのときと同じように、早川はキーボードを弾き、椅子に座っていながらも体を弾ませていた。続いては『赤色のワンピース』で、「鶴川から秋葉原までたくさん話をしたね~♪」という歌詞があり、ここで場内がざわついた。私はこの当日に知ったのだが、早川義夫は和光大学の一期生なのだそうだ。
HONZIはバイオリンにアコーディオンにバックコーラスにと、何でもござれの活躍ぶり。自身も多彩な活動を行っているようだが、早川のライヴには必ず馳せ参じる人のようだ。そして向かって左の佐久間だが、今回はギターを手にし、主に間奏でノイジーなギターソロを披露。遠慮がちに見えなくもないが、これが佐久間が早川との間に持つ距離感のように思えた。佐久間は早川の作品もプロデュースしたことがあり、今回の客演もそうしたことが縁なのだろうが、2人のつながりは実はもっと古く、そして深かった。佐久間もまた和光大学のOBで、早川を追うようにして和光大学に入ったのだそうだ。
早川はほとんど何もしゃべらず、曲と曲との間を切らすこともなく、次から次へと演奏を続ける。スーツ姿にサングラスで、その表情はちょっとわからない。曲は『身体と歌だけの関係』のようなかなりどぎつい性的な歌詞の曲もあれば、『父さんへの手紙』のような温かい曲もある。しかしこの独特の詞の世界と、それを発するこの人の姿勢、立ち位置には決して派手ではないが妖しい凄味があって、オーラが漂っていた。こうしてライヴは40分ほどで終了したが、アンコールの歓声に促されるようにして、3人は再登場。ちょっと照れくさそうだった、早川の笑った顔が印象的だった。
この後は学生バンドひとつを挟んで、7時半過ぎに遠藤ミチロウが登場。風は一段と強くなり、そして冷たい。それはステージ上も同じで、ミチロウも思わず「寒っ」と口走っていた。ステージ前は先ほどよりは少し人が減り、今度は革ジャン率が高くなった(笑)。ミチロウはバンドではなく、たったひとりでセミアコを抱えてのスタート。その1曲目はなんとジャックスの『マリアンヌ』で、歌い終わった後、早川のことを自分が最も影響を受けたアーティストのひとりだと言い、なのに歌詞を間違えてしまいましたと照れ笑いしていた。
ミチロウが行うライヴのペースは、尋常ではない。ほとんど2~3日に1度というペースで、中には6夜連続というのまである。年換算すれば100本は軽く超えているということになり、そんな自分の身を削るようなことをしていて大丈夫なのかと思っていたら、秋に急病で入院し、10本以上のイベントが中止になった。この日のライヴは復帰後間もないこともあってか、どうも本調子には見えなかった。特に序盤は声がかすれていて、独特のテープを逆回しにしたような咆哮も、切れが悪かった。
しかしこうした状況下でこそ、ミチロウのアーティストとしての魂は真価を発揮すると私は思う。機械ですら、時には燃料を補給したり油を差したりして、手入れをしなければまともには動かない。増してや人間なんて、好不調の波があるのが当たり前で、言ってみればそれを克服するのが戦いのようなもの。調子がいいときにイケイケで押し切ることは簡単だが、そうでない状態のときに如何にして戦い抜くか。「勝ち」ではない、「負けない」ための戦いがあると、私は思っている。
曲は、『お母さんいい加減あなたの顔は忘れてしまいました』『Just Like A Boy』『音泉ファック!』などで、歌い続けるにつれ、声の調子が徐々に回復してきているように見えた。本編ラストはボブ・ディランの『天国への扉』で、ここまで来ると独特の咆哮が完全によみがえっていた。ミチロウが用意してきたセミアコは2本だが、その2本とも弦を切ってしまっていた。アンコールでは自分で弦を持ってきて、ギターに巻きつけていた。しかしそれも、『父よあなたは偉かった』でまたしても切ってしまい、するともう1本の弦が切れたままのギターを取り出して、『仰げば尊し』を熱唱。スターリン時代からのお馴染みの曲のようで、忌野清志郎の『パンク君が代』に通ずるものを感じた。
自分は、請われればギターを持ってどこへでも行って演奏をする職人、というのが遠藤ミチロウの基本スタンスのように見える。ただもともとこの人はいろんな人とコラボレートしていて、今回は場所が早川義夫の母校の大学ということと、その早川も同じステージに立ったということで、ミチロウ自身の中ではひとつのコラボレートが成り立っていたのではないだろうか。
一方の早川義夫は、MCこそわずかしかなかったが、曲と詞、そして演奏そのものが、来てくれた人たちのために自分が最大限できるアプローチなのだと、信じているようなライヴだった。決して新しくはないのだが、かと言ってノスタルジィでもない、不思議な世界観だった。今回は言わば凝縮版で、それでこの緊張感溢れるライヴなのだから、とすると普段のライヴは一体どうなってしまっているのかと、思わずにはいられなかった。
(2002.11.4.)
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