命どぅ宝・平和世コンサート 2002.4.28:上野不忍池水上音楽堂
去年の6月に、初めて頭脳警察のライヴを観た。しかしこれもわずか3ヶ月の期間限定の活動で、PANTAと石塚俊明は再びバンドを封印。今後、2人はソロとしてそれぞれの道に戻るのだろうと、そう思っていた。その2人が同じステージに立つという情報を、偶然ながら知った。そしてチケットを取った後になって、再々結成のバンドを支えた舎弟、藤井一彦とJIGENの参戦も決まった。当初はPANTAのソロに石塚が客演するような形になるのではと予想していたのだが、ひょっとするとひょっとするかもしれない。そのイベントが、「命どぅ宝・平和世コンサート」だ。
イベントは真っ昼間の午後2時に開演。オープニングを努めたのは遠藤ミチロウだ。かつてはパンクバンド・スターリンとして活動し、現在もソロやユニットなどで精力的にライヴを続けている。個人的には、間寛平をサポートするアメマーズとしてフジロック'00に参戦したのを観たことがあるだけで、つまり実質的には今回が初めての体感となる。
ミチロウは白いTシャツに迷彩柄のパンツ姿というラフな格好で登場。『父よあなたは偉かった』で始まり、以降セミアコ1本だけで熱唱。小柄で華奢な体形で、一見して不健康そうなのだが、そこから発せられるエネルギーがとてつもなく凄く、弦を2度も切り、それでもおかまいなしにそのまま歌い続ける。過激でありながらどこか切なさも漂う歌詞の連射、しかし決して「ことば」そのものだけに頼ってはいない。シンプルだがしかし明らかに「攻め」の姿勢であり、パンクロッカーというよりは、ひとりの表現者として稀有の存在であることを痛感させられる。
後半になり、ミチロウは石塚を招き入れる。実はこの2人でユニットもやっていて、その名も"頭脳不足=ノータリンズ"だと(笑)。石塚は長身ですらっとした体形。グラサンをかけていて、現在のリンゴ・スターを思わせる風貌だ。そしてパーカッションではなくドラムセットに陣取り、稲妻のように鋭くそしてパワフルなビートを利かせる。盟友を得たことでミチロウの歌も更に引き立ち、真っ昼間であるにもかかわらず、寒気を感じるような鬼気迫る雰囲気が漂う。
ラストはボブ・ディランの『天国への扉』。しかしサビ以外は独自の日本語の歌詞で歌い、そして合間合間に咆哮。まるでテープを逆回転させたようなノイズを、機械ではなく自らの声で表現するミチロウ。そのミチロウの背中に、ディランが見える。ニール・ヤングが見える。ピート・タウンゼントが見える。パンク出現以前からパンクだった人たち、そして今もパンクであり続けている人たちに、ミチロウがダブって見える。私にとって、信じられる日本人アーティストは非常に数少なく、PANTAはその筆頭格なのだが、その中にミチロウの名前も連ねたくなった。スターリンやソロの作品も、聴いてみたくなった。
10分ほどのセットチェンジを経て、佐渡山豊登場。結構立派な体格で、全身黒づくめのスーツに首からエンジ色のマフラーを垂らし、グラサン姿といういでたち。かなりダンディーなたたずまいだ。同じく黒づくめであるベーシスト石井まさおを従え、アコースティックで熱唱する(後半は再び石塚がドラムで参加)。この日のイベントまで私は存じていなかったのだが、沖縄出身のこの人は、沖縄であることにこだわり続け、沖縄の人が沖縄のことばにコンプレックスを感じていたときから、そのことばの素晴らしさを全国に伝え続けてきた人なのだそうだ。そしてこの人こそが、今回の「命どぅ宝・平和世コンサート」の主役だと言っていい。
「命どぅ宝」は「ぬちどぅたから」と読み、「平和世」は「へいわゆ」と読むのだそうだ。今年は日米旧安保条約が発効して50年。日米旧安保条約は要はアメリカが日本に基地を置くことを認めさせるための法律で、そしてその当事アメリカだった沖縄は、そうした政治色を今でも色濃く残しているところである。沖縄が返還されるのはそれから20年後のことで、沖縄に住む方々にとっては、米軍基地とどう折り合いをつけるのか、あるいは折り合いなどつけないのかを迫られながら生き抜いてきたはずだ(沖縄の地を踏んだことがない私は、ただ想像することしかできないのだが)。この旧安保条約が発効した日というのが、50年前の4月28日。国会が有事法案可決に向けて進む中、この国にこのような歴史があったということを今一度考えてほしいと呼びかけているのが「命どぅ宝・平和世コンサート」であり、回を重ねて今回が13回目になるのだそうだ。この日のイベントはビデオカメラで撮影され、琉球新聞も取材に訪れていた。
そしてセットチェンジ。ドラムセットは取り除かれ、パーカッションがフロントに用意され、マイクスタンドの本数が増える。これはPANTAのソロじゃない、明らかに頭脳警察だ。そしてメンバー4人が登場。PANTAは黒いシャツに白のベストをまとい、頭にはバンダナ。石塚はグラサンを外していた。メンバーをひと通り紹介し、こんなおてんとうさまが出ている時間にライヴをするのはずいぶん久しぶりだと言って始めたのは、『暗闇の人生』だ。
PANTAはアコギを弾きながら歌い、その横では石塚が例によって魔法のように怪しいリズムを刻む。石塚の右後方にはGROOVERSの藤井一彦。長身で細身、モップのようなヘアスタイルにグラサン姿で、ルパン三世と次元大介を足して2で割ったようなたたずまいだ(笑)。も・も・な・しのJIGENはPANTAの左奥に陣取っていて、非常に地味ではあるが、その上体を小刻みに揺らすさまは、レッチリのフリーを思い起こさせた。
この日のPANTAは雄弁だった。「命どぅ宝」を最初は読むことすらできなかったが、命こそ宝なんだという、沖縄に伝わる言い回しだと知ってそのことに共感したこと。佐渡山豊とは、頭脳警察74年作『悪たれ小僧』以来の長い付き合いになること(石井まさおも参加している)。佐渡山とPANTAは"トラ・寅・とら"というイベントも企画し、実行していること。佐渡山~ミチロウ~石塚~PANTAはみんな干支が寅であること。上野水上音楽堂は昔は屋根がなくて、今ついている屋根は演奏から客の歓声からちょうどいい具合に跳ね返ってきて、気持ちがいいと感じていること。・・・などだ。
こうしたPANTAのことばに代表されるように、かなりリラックスした様子でステージは進んだ。全てがアコ−スティックバージョンで、『歴史から飛び出せ』も『Quiet Riot』も、まるで別の曲に生まれ変わっている。しかしそれは、頭脳警察が剛球一本やりのストレートなバンドではなく、もっと多彩でもっと奥の深いバンドなのだということを際立たせ、これはこれでアリなんだと思った。そしてアコースティックでこそその真価が問われるヴォーカリストの表現力だが、PANTAの歌い方は力が入りすぎず、その声は渋すぎず太すぎずで、私にとってはちょうどいい具合だった。
本編は『万物流転』で締めくくり、アンコ−ルは『さようなら世界夫人よ』。そしてPANTAはミチロウと佐渡山、石井を迎え入れ、『落ち葉のささやき』を歌う。ともすればお祭り的なうさん臭い雰囲気になりがちなところだが、そうならなかったのは、ステージに集まった者たちはみな盟友であり、お互いがお互いを表現者として信頼しているからだと思う。サビを交代で歌うさまは、ボブ・ディラン30周年記念コンサートの『My Back Pages』を思い起こさせ、約3時間のステージは感動のフィナーレとなった。
話はまた頭脳警察に戻るが、今回はドラムの人が首を手術して入院中のため、ドラムレスというやや変則的なバンド編成になったのだそうだ(PANTA曰く、デフ・レパード状態だと/笑)。これぞ頭脳警察という曲が『世界夫人』に留められたのも、この編成で頭脳警察というのがややおこがましいという、PANTAの「照れ」からきたようである。PANTAは今年久しぶりにソロアルバムをリリースし、6月にはツアーもすることが決まっている。がしかし、今回急遽藤井とJIGENを召集してライヴを行い、こんなエピソードまで披露するということは、PANTAそして石塚は"その気"になっているということだ。
(2002.4.29.)
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