Cocco 2000.10.6:日本武道館
客は想像通り女性が多い。入場時のカメラチェックをする係も女性。制服の上からエプロン(グッズとして販売されているものと同じ)を着けているのが少しかわいい。場内の客席の案内をしてくれる係も女性だった。私の席はアリーナの最後列でしかも通路際。脇や後ろを通る人がとても気になり、なんだか落ち着かないまま開演を待つ。
午後7時10分。両サイドにある時計の表示が消え、場内にはシンフォニーが鳴り響く。やがて客電が消えてメンバーがスタンバイ。客席は総立ち。イントロが既に始まる中、慌てて走ってステージにやって来るシルエットが見えた。Coccoだ。
オープニングは『けもの道』。早速激しく首を振るCocco。首というよりは上半身全体を前屈させている。白いワンピース姿で、長い髪はおへその辺りまで垂れている。バンドはg×2、b、key、ds、タンバリン&バイオリンという構成。ステージには何の装飾もない。が、それは音楽オンリーで勝負するという姿勢に違いない。
それを早くも立証しているのはCoccoの圧倒的とも言える声量。2年前に既に武道館公演をこなしているとはいえ、1万近いキャパをものともしない彼女の力量は想像以上に凄い。「嘘には罰を~」というサビの部分が耳に焼きつく。そのまま『濡れた揺籃』へとつなぎ、首振りは一層激しさを増す。右手にマイクを握りしめて歌い、左腕は彼女の押さえられない情熱が溢れ出すように上下に動く。
シングルカットされている『水鏡』『樹海の糸』が惜しげもなく早々に披露。『水鏡』はTV「ミュージックステーション」で見ていたが(動くCoccoを観たのはこのときが初めてだった)、このときの窮屈でやりにくそうなCoccoの姿は観ている方が痛かった。対してライヴでは、より自由により自然に歌えていて、なんだか安心。透明感溢れる『樹海の糸』は新作の中で最も好きな曲。こちらの身が引き締まる。
Coccoのライヴのもうひとつの?目玉である、MC。「こんばんはございます」なる挨拶から始まり、東京から始まった今回のツアーで全国を回ってようやく東京に帰ってきたこと、アイドル並みのスケジュール(笑)をこなしたこと、をたどたどしく話す。歌って踊れるアイドルよろしく自分で踊れる曲を考えたとのことで、アカペラで披露してみせる。歌っているときの透明感と、話しているときのでこぼこ感のギャップが微笑ましい。
ライヴはアルバム『ラプンツェル』からの曲が中心になって進む。ほのぼのとした『海原の人魚』、英語の歌詞の歌い上げも素晴らしい『'Twas on my Birthday night』。この才能、日本だけに留めておくにはもったいない。といっても、今の本人は海外のツアーなんてとてもじゃないがやらなさそうだけど。
『ボロメリア』。他人を寄せつけない強さを放っていながら、その他人に対して優しさを振り放つCocco。『雲路の果て』に始まったシングルカット攻勢は『クムイウタ』以降の新たな音楽性の追求のための試行であり、それはこの曲にて到達した感がある。感動に私の首はゾクゾクし、その痺れは肩を伝って両手の指先にまで行き届く。ライヴ中、この後何度この感覚が私を襲うことか。
まるでロバート・フリップのような(笑)ギターソロに導かれて始まった『強く儚い者たち』。私がCoccoを知るきっかけになった曲である。優しいメロディ、壮大なメロディ。なつかしさ、切なさ、儚さなどの情感が溢れる。なのにどぎつい歌詞。言わば彼女の魅力が凝縮された1曲に思う。私たちは彼女に魅せられ、彼女の前に自分をさらけ出しているのか。
そして『遺書』。私が最も好きなCoccoの曲である。『ラプンツェル』中心の今回のツアー選曲にあって、この曲を演ってくれることが私は嬉しくてたまらない。ライヴ映えするだろうと予想してはいたが、彼女の声量は一層力強くなり、場内をねじ伏せる。バンドの演奏力も凄まじく、エネルギーが一点に結集され、感動の波が何度も襲う。痺れは両腕や首筋だけでなく、膝の裏や背中にまでほとばしる。私が普段聴いているのはほとんど洋楽。それがフジロック'98でミッシェルの衝撃を目の当たりにし、ネットで知り合った友人にCoccoを教わり、日本のロックも少しずつではあるが聴くようになった。それからまる2年。私はこの瞬間をずっとずっと待っていた。この瞬間に立ち会いたいが為に、この2年間彼女を追いかけ、求め続けて来たんだ。
『カウントダウン』が保持するパワーはCDと寸分も違わない。そして最新シングル『星に願いを』へと続く終盤は圧巻だ。この曲は激しさを押さえ、優しさも押さえた微妙なバランスを備えている。現時点でのCoccoの到達点なのだろう。
彼女はツアーをしている間だけ、自分が姫でいられると言った。なのにツアーメンバーにも、スタッフにも、自分からは近づかないようにしていると言った。迷子にならないようマネージャーに携帯電話を持たされて、だけど自分から電話をかけることはついに1度もなかったと言った。それは情が移るから。ツアーが終わり、自分が姫じゃなくなったとき、みんなと分かれるのが辛くなるから。
(以下はCoccoのことばで)みんなと一緒にツアーをしているのに、自分は今までひとりぼっちで歌っていると思っていた。ツアーのメンバーはすぐ近くにいても、遠い存在だと思っていた。だけど今回のツアーは、自分はひとりじゃない、みんなと一緒なんだ、そう思えるツアーだった。ステージでスタッフに対してどうこうと言うのはしてはいけないことかもしれないけど、ライヴが終わったらみんなおうちに帰らなくちゃいけないし、裏方さんはステージ片付けなくちゃいけないし、私はただの沖縄の女に戻ってしまう。なので、この場でお礼を言わせてください。
『ラプンツェル』のラストに収録されている『しなやかな腕の祈り』。そしてライヴの幕引きを飾るのはなんと新曲。今回のライヴ、披露された新曲は計3曲。いずれも新機軸というよりは集大成的な色合いが強く、『しなやかな~』『星に願いを』にも通ずる世界観を表現している。彼女は歌い終えるとシンデレラのように膝をつき、客席~メンバー~スタッフに向かってお礼をする。それが終わると感極まったのか、泣きながら走ってステージを後にする。姫のいなくなったステージ、残されたメンバーが最後の力を振り絞って演奏を続けた。アンコールはなし。しかし誰が文句など言うものか。
彼女の発することばはとても痛い。見ているこっちの心が締めつけられるくらいに痛い。しかしCDで聴く洗練された曲と、雑誌のインタビューなどで応える彼女のたどたどしさの間にあるあまりのギャップは、ライヴで彼女の肉声を聞き、歌声を聴いたことで少しだけほぐれてきたような気がしている。そして、彼女が再び"姫"になって私たちの元に戻ってきてくれるのは意外に早いんじゃないかな、と思った。
(2000.10.8.)
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