Paul Weller 2000.9.16:Zepp Sendai

8月にオープンしたばかりで、今後仙台もとい東北地区におけるコンサート会場のメッカとして繁栄していくであろうZepp Sendai。広さはZepp Tokyoよりもはるかに狭く、Club Cittaと同じくらい。横に仕切られたブロックもAからDまでだった。そして私が勝手に心配していた客の入りだが、場内をほぼ埋め尽くす満員に近い入りとなった。私は今回いろいろと思うところあって東京公演をパスし、観光も兼ねて仙台に来た。


 翌日に小岩井ロックファームというイベントを残してはいるものの、実質的にはこの日が来日公演のラスト。中にはウェラー先生の機嫌がよろしくなかった公演もあったようで、果たしてこの日は良好なのだろうか?そして仙台のロックファンはおとなしくはないのだろうか?・・・という期待と不安が交錯する。





 開演10分前に天井のミラーボールが突如光り、場内がどよめく。そして2分前に客電が落ち、バンドメンバーが登場。その最後に姿を見せたウェラー先生。場内は歓声と拍手の渦で先生を迎え入れた。やったぜ仙台!私はこの瞬間に、この日のライヴが成功し、熱く激しいものになることを確信する。


 オープニングは『Friday Street』。ソロキャリアの中でも円熟の域に達したことを感じさせるナンバーだ。ミディアムの曲調なのだが、肩を小刻みに揺らしながらギターをかきならすウェラーの姿がたまらなくカッコいい。そして2曲目で早くも『Sunflower』!バックのスクリーンには花が映り、斑のような模様がかぶる。ステージのテンションの高さに呼応するように、オーディエンスのテンションも高い。


 メンバーは向かって右にウェラー先生。スタカン以来?の金髪だ。その真横に並ぶようにb。彼は先生よりも長身で、なおかつバックvoまでこなす。なんだかやたらに存在感があるなあ。きっとこの人もモッズ野郎に違いない。その左にはkey。最奥にはもちろんスティーヴ・ホワイトだ。そして今回、スティーヴのドラミングが力強くて凄まじい。今まではリズム隊の要として縁の下の力持ち的な地味な役割に徹していたのに、どうしたことか見事に自己主張している。しかしこれがバンドのコンビネーションを崩すことはもちろんなく、むしろ一層結び付きを固く強くしているように思えるのだ。


 4曲目の『Peacock Suit』まで一気に駆け抜ける勢いでステージは進む。例えばツェッペリンやストーンズには、イントロのリフが響いただけで全身に電流が迸るような感動を覚える曲がいくつもあるが、この曲や先の『Sunflower』のリフもその文脈に位置している。序盤こうした前のめりのナンバーを持ってきたことは成功といえるだろう。早くもステージとオーディエンスの間には一体感が生まれているのだ。





 でここからが問題だ。もちろんウェラー自身の創作活動の成果として生み出されたのだが、新作『Heliocentric』はかなり地味な作品なのだ。これらの曲が果たしてライヴ映えするものかどうか。ともすれば、せっかくここまで上がったテンションを静めてしまうことにもなりかねない。オーディエンスがすっかりおとなしくなってしまって先生が怒ってしまうかもしれない。


 しかし『Frightened』や『Back In The Fire』は、場内のテンションを下げることはなかった。序盤の曲のようなアグレッシヴさはないのだが、これが不思議な深みと味わいをもって迫ってくる。ともすれば"地味""渋"の単語で片付けられがちな作風なのだが、これは『Stanley Road』で確立したジャム~スタカンに続くウェラー第3の方法論なのだ。そしてもうひとつの問題は、この方法論が日本のファンに伝わるかどうかだった。がしかし、ここに集まった仙台のファン、あるいは東北のファン、私のようにもっと他の地域からやって来たファンは、見事それに応えている。やったぜ仙台。


 スティーヴのドラムがイントロとなって始まる『There's No Drinking , After You're Dead』は、タイトでストイックで、パンクもモッズもニューウェイヴも80'sもくぐり抜けてきたウェラー自身の生きざまをそのままオーバーラップしているようにも思える。新作中私が最も好きなナンバーだ。そして『Porclain God』『You Do Something To Me』という、私にとってはCDでは今ひとつだった『Stanley Road』からの曲も、ウェラーの気合いがすり込まれた渾身のナンバーに生まれ変わっている。





 『Heavy Soul』では後半で壮大なインプロヴィゼーションが披露。ここまでは割とレコードに忠実に演奏されていてライヴならではのアレンジが見られなかったので、これも嬉しかった。ジャムやスタカンのみならず、ウェラーのソロキャリアもひとつの"歴史"になった感があって、ソロ初期のライヴのハイライトを飾った『Bull Rush』『Shadow Of The Sun』辺りは最近は演奏されなくなった。これらの曲はライヴではドラマティックに生まれ変わり、曲というよりはひとつのドラマのような様相を見せていた。だが『Heavy Soul』はちゃんとその流れを受け継いでいるのだ。そして・・・、


 『The Changing Man』のイントロが響き、場内のテンションが一段と上がる。スポットが場内を照らし、眩しいくらいに明るくなる。この場にいた人全ての体温が1度上がったに違いない(笑)。オーディエンスは拳を突き上げて歓喜を表現し、バンドは高揚した状態を持続しつつ演奏を続ける。この瞬間こそはライヴのハイライトであり、クライマックスだった。やったぜ先生。





 ライヴも終盤に差し掛かり、『Picking Up Sticks』では後半スティーヴ・ホワイトの壮絶ドラムソロが炸裂する。スティーヴのこうしたパフォーマンスは、ほんとに珍しい。スタカン時代から通してもライヴで自分がスポットを浴びるシーンはなかったのではないか。しかし『Sunflower』の時点でその予兆は既にあった。円熟の域に達していたのは、ウェラーだけではなかったのだ。そのスティーヴを、さっとタバコに火をつけて吸いながら温かく見守るウェラーの姿も印象的だ。そしてbの兄ちゃんはいったん袖の方に下がり、戻ってきたときはなんとアフロのヅラをかぶっていた(笑)。


 本編ラストは『Wild Wood』。この日はじめてアコースティックギターを手にして切々と歌うウェラー。リッケンバッカーをかきならして情熱迸るように歌い上げるウェラーに、キーボードの鍵盤を叩きながら歌うウェラー。その姿のどれもが彼の魅力であり、そしてアコギを弾きながら歌い上げるウェラーの姿もそれに加えられよう。最後はギターの音色もウェラーの声も、消え入るようにして小さくなり、そして場内は歓喜の拍手に包まれる。


 そしてアンコールは『Woodcutter's Son』。中盤でbの兄ちゃんがリードvoをとり、それにウェラーがブルースハープで応戦するという掛け合いもあり、やってるメンバーもなんだか楽しそうに見えた。これ1曲だけというのはなんだか物足りない気がしないでもないが、これが今回のツアーのスタイルのようなので、まあOKかな。最後は全員が肩を組んで何度もおじぎをする。











 私は横浜在住で、普段は東京近郊の会場に足を運んでライヴを楽しんでいる。今回の来日公演、東京は国際フォーラム2Daysだった。国際フォーラムはキャパ約5000、全席指定の椅子のある会場である。私はポール・ウェラーのライヴを過去に4度観たことがある。その中で94年10月の簡易保険ホールでのライヴは、オーディエンスもそして恐らくはウェラー本人も消化不良に終わってしまったことがあった。ノリの悪さに怒ってしまってもう日本に来てくれないんじゃ、という心配までしてしまうような出来だった。


 実際は東京公演はこの後赤阪Blitzでの追加が発表されるものの、当初発表された日程と会場を見て、私は東京公演を観に行くのに二の足を踏んだ。6年前の悪夢が再現しないとも限らない。しかしよく見ると、仙台はオープンしたばかりのZepp Sendai。しかも公演日は土曜日で3連休の中日だ。これは日程的にも会場としてももってこいだ。私は仙台に行くことにした。


 そしてその判断は正しかったと思っている。東京公演については、あくまでネット上で他の人の感想を読んだ範囲内でしかないが、私が仙台で体感したような感動は少なかったようにみえる。ポール・ウェラーがやっている音楽やライヴパフォーマンスというのは、椅子席とかオールスタンディングとか、という要因に少なからず左右されてしまう部分があるのが事実だと思っていて、裏返せばそうした"不安定さ"がこの人の魅力のひとつであるとも言えるのだ。




(2000.9.18.)
















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