Jeff Beck 99.6.2:東京国際フォーラム ホールA

NKホールよりもはるかに密閉感を感じる国際フォーラム。この日の公演はNHK-BSで放送されるとのことで、会場内の至るところにビデオカメラが設置されている。入場前には例のごとく凄まじいダフ屋攻勢に遭ったが、場内で空席を見つけることは難しかった。





 午後7時20分過ぎ。客電が落ちて幕がオープン。そしてステージには既に他のメンバーが陣取っていて、ジェニファーのgにより『What Mama Said』の電光石火のイントロが轟く。オーディエンスに心の準備をする間すら与えないこのテンポのよさ。そして御大登場!この日の黒いシャツは、カクテル光線の当たり具合によって玉虫色になってまばゆく映っている。打ち込みのドラムの音量が必要以上に大きく、そして国際フォーラムにしては珍しく音が割れているが、最早そんなことはどうでもいい。各地を行脚して東京に舞い戻ってきたジェフ・ベック、そして、再び同じ時間、同じ空間を共有できる喜びに、理性のタガが吹っ飛びそうになる。


 そして『Psycho Sam』『Brush With The Blues』と、お馴染みの展開となる。『Brush ~ 』はランディ・ホープ・テイラーのぼんぼんぼん~という、低いが染み渡るbの音色に導かれて始まった。アルバムよりも幾分スローめである。そして夜の酒場のような煙たく、しかし味わいのある雰囲気を醸し出している。私はこの曲をCDで聴いても今ひとつ引っかかるものがなく、なんで3曲目なんかに配置しているのか疑問視していたので、ライヴでのこの惹きの強さには全くもって脱帽するしかない思いだった。やられた。





 ジェフ・ベックといえば、その音楽に対する妥協のなさも関係しているのか、バンドメンバーとうまく折り合っていけないエゴイズムの権化というとてもキツいイメージがあった。それが今回の来日で随分その内面というのか、人となりというのが鮮明になってきたような気がする。来日記者会見で質問にひとつひとつ丁寧に答えたというジェフ・ベック。ストーンズ加入の誘いのエピソード、90'sのミュージックシーンについて。自らの有り方との間に生ずる大きなギャップ。それをどのように克服しようとしたのか。『Who Else!』に注入しようとしたのか。そこには穏やかで、繊細で、そしてクールな視点が確認できる。


 NKのときは私の座席位置とステージとの角度との関係でほとんど見えなかったステージ奥のスクリーン。ハイウェイが模されているだけのシンプルなセットだ。それがジェフ・ベックのギターの音色に併せて無数の光線が飛び交う。そして、この日のジェフ・ベックは以前にも増してリラックスしていた様子だった。ストラトの弦をギャギャッと掻き鳴らしては右腕を突き上げるあのお決まりのポーズも連発。ベーシストにソバットを食らわすまねをしたり、ストラトを後頭部に持ち上げて後ろ手に弾いたりとワザ師ぶりを見せ付けている。ステージ上でのジェニファーやランディ・ホープ・テイラーとの掛け合いも、まるで中国拳法の達人が見所のありそうな勇士を弟子に雇って諭すように自分の力量を伝えているようだ。


 『A Day In The Life』。私はこの日、銀座HMVで昨年ジョージ・マーティン名義で発表されたアルバム『In My Life』を購入していた。そしてジェフ・ベック・バージョンのこの曲も収録されている。『Blow By Blow』の頃、ジェフ・ベックはスティーヴィー・ワンダーをはじめ他のミュージシャンとの交流に積極的だったが、中でもジョージ・マーティンの存在は別格であったに違いない。そしてジョージ・マーティンにとってもジェフ・ベックと共に作り上げた作品には特別な思いがあったに違いない。ことばを超越し、ことばを必要としない、両者の深い信頼関係がにじみ出た素晴らしい仕上がりである。


 『Led Boots』では場内が花火が弾けたかのような騒ぎになる。この日は往年の名曲に対するリアクションがよかった。後半のドラムソロが終わり、再び登場したジェフ・ベック。なんと白いタンクトップ姿だ!わ、若い!露出度が高くなるに連れて、ますます実年齢がブッ飛んでしまう。そして必殺の『Cause We've Ended As Lovers/哀しみの恋人達』へ。






脳天がショートした。





 ここにいるジェフ・ベックはほんとうに54歳のジェフ・ベックなのか。まるで20年前にタイムスリップしたのではないか。目の錯覚なのか、これは。顔も体も動きにも年を感じさせない、若い、と再三に渡って連発してきたが、細い体を弓のようにしならせながらギターを操っているこの姿。そして『哀しみの恋人達』の、あの不変にして普遍である、絶対的な、そして圧倒的な泣きのフレーズを響かせているのだ。


 多くの場合、同じアーティストのライヴを立て続けに観に行ったら、どうしたって2回目は1回目よりもある程度の落ち着きを備えて観るようになってしまうだろう。ここでこうなって、で次はこうなる、というストーリーを1度体験しているだけに、頭の中でそれを思い描くのは当たり前のことなのだ。そして焦点はより細部へ、1回目との差分は何か、前回はこうだった、今回はこうだ、というような感じ方になるのが自然な流れだと思うのだ。それなのに・・・。





 NKホールで観たときは、『Who Else!』からの楽曲群が、90'sという時代性をジェフ・ベックがキャッチし、それを消化したのかをジェフ・ベック自身が身をもって証明したステージに感じた。それはすなわち現在のジェフ・ベックのあり方、今なお前のめりに突き進む姿そのものであり、それをまざまざと見せつけられて、私はすっかりのされてしまったのだ。それが、今日は全くイメージが逆だ。目の前で、ステージ上でギターを操るその姿は、54歳のジェフ・ベックに、まるで『Blow By Blow』や『Wired』の頃のジェフ・ベックが憑依したのではないのかとさえ思えてしまった。


 『Blue Wind』で本編を終わらせた後、ステージ中央にメンバー全員が整列。そしてなんと、メンバー紹介をしたのはジェフ・ベックその人ではないか!「アリガトウ・・・。サンキュー、ベリマッチ・・・。」うひゃー!しゃ、しゃべってる!ジェフ・ベックがしゃべってる!もそもそした穏やかな声質だ。アーティストがしゃべっただけでこんなに興奮してしまったのは93年のカヴァーデイル・ペイジの来日でジミー・ペイジがしゃべって以来かもしれない。





 アンコールを求める拍手はいつのライヴにも増して激しかった。『Where Were You』には新たな幕開けの予感を感じ、『Big Block』には、ああこれでもうジェフ・ベックのライヴが終わってしまう、という寂しさと、ジェフ・ベックありがとう、という思いが同時にこみ上げてきた。ライヴを観に行って、感動的、衝撃的な体験はこれまでにも数限りなくしてきたはずだ。がしかし、そのアーティストに対して「ありがとう」という気持ちを感じたのはもしかしたら初めてのことかもしれない。


 夢見心地のまま家路についた。そして、帰る途中でいろいろと考えた。私はランキングが結構好きである。雑誌のランキングものも結構好んで読んでいる。自分の気に入ったアルバムや心に残ったライヴをランキングだてて並べることもしばしばやっている。がしかし、ジェフ・ベックの2度の公演はランキング化不能だ。私の中ではランクングを超越したところに位置しているのだ。あえて「殿堂入りライヴ」とでも名づけさせてもらうことにしよう。





そして今1度言わせてほしい。























・・・ありがとう。























(99.6.4.)































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