Endless Summer - 混沌

ブライアン・ウィルソン・ストーリーVol.4

 70's以降のブライアンというのは、果たしてビーチ・ボーイズのメンバーとして活動していた、と言い切れるのだろうか。ドラッグ漬けが一層深刻になり、制作に全く参加しない(できない)ままリリースされたアルバムも多い。実際、60's前半ののサーフィン/ホットロッド、60's後半の実験音楽を経て、以後のビーチ・ボーイズというのはライヴバンドとして主にアメリカ以外での活動が主流になっていく。この頃はブライアン以外にもメンバーの出入りが激しかった。


 74年、キャピトル時代(『20/20』以後リプリーズを配給元として自主レーベルを設立する。79年にはカリブーに移籍)の代表曲からブライアンが自ら選曲してベストアルバム『Endless Summer』がリリースされる。久々の全米1位獲得。そして『Surfin' USA』がリバイバル発売され、キャピトルの宣伝効果もあってビーチ・ボーイズ再ブームが到来することとなった。更に続編的ベスト盤『Spitit Of America』も相次いでリリースされた。


 そして79年、ブライアンはビーチ・ボーイズの一員として初来日を果たす(ビーチ・ボーイズ自体の来日は2度目)。JAPAN JAMという名のジョイントフェス形式で行われ、江の島に特設ステージを作り、他にはハートやサザンオールスターズなどが参加。もちろんビーチ・ボーイズはトリを飾った。ただし、ブライアンはこのときのことをほとんど覚えていないとのこと。無理ないか・・・。


 83年の暮れ、メンバーの中で唯一本物のサーファーであったデニス・ウィルソンが、酒に酔って水死してしまう。享年39歳。これにてビーチ・ボーイズ=夏=海の図式はほんとうにイメージのものになってしまった。そして85年、ビーチ・ボーイズはバンド名をそのままアルバム名に冠した『The Beach Boys』を発表する。初心に帰れ、という自戒の念が込められたのだろうか。そしてシングルカットされた『Getcha Back』がヒット。個人的にはこの頃は洋楽の聴き始めであり、初めてビーチ・ボーイズの音に触れたのもこの辺りだった。わりと同時期に、ヴァン・ヘイレンを脱退したデイヴ・リー・ロスが初のソロアルバムを発表し、その中で『California Girls』をカバーしシングルカットしていた、ということもあったりしている。


 今回の項、約15年にも渡る期間をあまりにもはしょった形で書いてしまったが、現時点での私にとってのビーチ・ボーイズの位置付けとはまさにこのような感じなのである。また、メディアでの扱われ方も、ここまでは極端ではないかもしれないが、60'sについては微に入り細に渡って語られているのに比べて、それ以降は希薄に描写されているのが多い。がしかし、果たしてほんとうに70's以降のビーチ・ボーイズが希薄であったのかに対して私は疑問に感じてきている。少し時間を要するかもしれないが、別の機会に70's以降のビーチ・ボーイズというのを深く掘り下げてみようと思う。ビーチ・ボーイズの神髄は60'sのヒット曲群にこそあり、という見方。傑作『Pet Sounds』と幻に終わった『Smile』による音楽的高みへの挑戦、という見方。それだけではないまだ隠された、あるいは単に見落とされた部分がこれから先に見つけられれば、と思っている。




(99.7.9.)
















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