Smile - 苦闘と挫折

ブライアン・ウィルソン・ストーリーVol.3

 1966年の秋、ブライアンはひとりのミュージシャンとの出会いを果たす。当時は無名であったが、後にアルバム『Song Cycle』を生み出し、つい先日も来日公演を行っていたヴァン・ダイク・パークスその人である。ポール・マッカートニーにはジョン・レノンがいた。ジョージ・マーティンがいた。しかし、ブライアンにはその才能をぶつけ合うことのできるパートナーはこれまで存在していなかった。ヴァン・ダイクという強力な助っ人を得て、いよいよアルバム『Smile』の制作にとりかかることとなる。


 『Smile』の制作と前後して、『Good Vibrations』がシングルカットされる。つい最近までSMAPが出演していたNTTのCMにかかっていた曲だ。この曲はアルバム『Pet Sounds』収録曲のような難解さと、必殺のコーラスワークが融合した奇跡のヒット曲のように思える。しかし、ビートルズは『Rubber Soul』に続くトータルコンセプトアルバムとして『Revolver』を発表。ブライアンは更なるプレッシャーを感じながらスタジオで格闘を続けることとなる。


 明けて1967年。ブライアンの精神状態はいよいよ尋常ではなくなってきたようだ。プレッシャーはビートルズからだけではなく、キャピトルからもかかってくる。音の方が完全に完成していないというのに、キャピトルは勝手にジャケットをデザインしてそこに曲のリストまでも刻印してしまったというようなこともあった。そして・・・、


 キャピトルは『Smile』の制作断念を発表する。それを決定づけたのは、ビートルズの『Sgt.Pepper's Lonely Hearts Club Band』が発表され、ブライアンがこれを耳にして打ちのめされてしまったからだった。ロック史上に残る傑作を、ロック史上に燦然と輝く傑作を、その完成を、その発表を、ビートルズと競っていたブライアン。しかし、『Sgt.Pepper's ~』を聴いたブライアンは、先を越された悔しさにまみれ、自らの負けを自覚し、そしてこれ以上緊張感を持続することができなかったのであろう(しかし、ビートルズ側にこのような意識はあったのだろうか。ブライアンが勝手にライバル意識を燃やしていたように取れないこともないのだが)。


 本来ならば『Smile』に収録されるために生み出された数々の曲群。そのうちのいくつかがかき集められ、更に他の曲が補完された形でアルバム『Smiley Smile』が発表された。このアルバムには常に『Smile』の影がちらつき、幻のアルバムと化した『Smile』が果たしていかなるアルバムであったのかに想いを馳せるためのツールになってしまった。『Smiley Smile』は、それ自体に評価を下すことが難しいアルバムだ。『Pet Sounds』発表からのインターバルが1年2ヶ月。今では普通に思えるリリース間隔だが、当時の、少なくともビーチ・ボーイズのアルバム制作期間としてはそれまでに比べて異様に長い。そして、その期間こそはブライアンの格闘と苦悩の日々であったに違いない。


 『Smile』に収録されるはずだった曲群は、その後にリリースされたアルバムの中に断続的に、しかも意図的になのかアルバムB面部分の方に、収録されることになった(なぜこのような形が取られたのだろう?)。69年の『20/20』には『Cabin Essence』が。70年の『Sunflower』のラストの『Cool,Cool Water』は『The Elements』の断片がキーになって作られた曲である。そして71年の『Surf's Up』は、その名の通りタイトル曲が収録。この曲は、ブライアンとヴァン・ダイクが『Smile』制作に当たって最初に作り上げた曲だった。難解な曲調、そして陰鬱なジャケットがそれを象徴しているように感じる(このアルバム、現在日本盤は廃盤なのでしょうか。探しています)。


 『Pet Sounds』、そして『Smile』の制作によってブライアンはいよいよ精神的にも肉体的にも憔悴してボロボロになっていく。『Smiley Smile』の後に発表されたアルバム『Wild Honey』からはブライアン色が薄くなり、他のメンバーのカラーが前面に出てくるようになる。




(99.7.8.)
















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