栄光のル・マン(1971年)
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最終更新日:2023/06/25
ドラマ
フランスのル・マン市で毎年開催される、ル・マン24時間レース。ディレイニーはポルシェチームのレーサーで、フェラーリのマシンと衝突して自身はリタイアし、相手のドライバーは死亡していた。それから1年後、ディレイニーはカーナンバー20のポルシェでレースに出場する。
雨が降って路面が滑りやすくなる中、フェラーリの1台がコースアウトしマシンが炎上。その事故に気をとられたディレイニーは、周回遅れの車に接触してしまい、自身は無事だったが乗っていたナンバー20のポルシェは大破してしまう。ディレイニーは、チームオーダーでナンバー22のポルシェに乗り、先頭を猛追する。
1971年公開のカーアクション映画だが、レースの臨場感が素晴らしい。それもそのはずで、前年の実際のル・マンに出場した車体にカメラを積んで撮影したとのことで、つまりレースの大半はプロのドライバーによる本物のレース映像なのだ。作品のために俳優が運転した映像と見事に融合し、つぎはぎ感がほとんどない。
レースそのものを描くことに重点が置かれ、人間ドラマは最小限にとどめられている。前年に事故死したフェラーリのレーサーの夫人リサがサーキットに姿を見せていて、ドライバー交代中のディレイニーは彼女と少しだけ会話を。ただ、ふたりともことばよりも表情で演技していた。
開始から約20分は全く台詞がなく、サーキットのコースや集まった群衆、レースチームの準備の状況などが淡々と流れる。レース開始直前の場内アナウンスが、最初の台詞になっていた。コースの一部は市街地内になっていて、閉鎖的な空間をぐるぐる回る一般のサーキットとは異なっている。
ディレイニーは、名優スティーヴ・マックイーン。個人としてもカーレースにかなり入れ込んでいて、自身のプロダクションの総力をあげて制作に臨んでいた。レース中心の描写や他に有名な俳優が見当たらないことなどから、アメリカでは興行的に振るわず、しかし日本ではヒットした。マックイーンは自身でのル・マン出場を強く望んでいたが、プロダクションの反対で叶わなかったそうだ。
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