レッチリ(RHCP)、11月に来日
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最終更新日:2023/01/29
Red Hot Chili Peppers フジロック, プリンス, ベック, レッチリ
今や押しも押されぬバンドにのし上がったが、ここまでの道のりは決して順風満帆ではなかった。レッチリほど天国と地獄を味わったバンドはまれと思う。
最初の危機は88年。ギタリストのヒレル・スロヴァクがドラッグのオーバードーズで死亡。そしてヒレルと仲が良かったドラマーのジャック・アイアンズも、ショックでバンドを脱退した。2度目は92年。なんと来日公演中に、ギタリストのジョン・フルシャンテが脱退を表明。当然日本公演は途中キャンセルとなり、特に関東では大宮でしか公演が行われなかった。3度目は、90年代の後半。ジョンの後任として94年に加入した、デイヴ・ナヴァロが脱退。デイヴは97年のジェーンズ・アディクションとしての活動、及びソロを経て、現在はジェーンズとして活動中。ではレッチリはというと、92年にバンドを離れたジョンが電撃復帰。以降は99年に『Californication』、そして今年7月に『By The Way』をリリース。現在に至っている。
こうしてみると、レッチリに訪れた危機というのは、そのほとんどがメンバー脱退劇によるものだということがわかる。つまりは、音楽的に行き詰って落ち込んだり停滞したり、というのとは違うのだ。アルバム1枚きりで消えていってしまうバンドが少なくない中、これは驚異的だ。そしてもっと注目したいのは、レッチリの音楽性そのものである。ハードでヘヴィーなサウンドを基調にしてはいるものの、ファンクやラップなどの要素も兼ね備え、世に認知され始めた頃はミクスチャーともクロスオーバーとも、あるいはゴッタ煮ロックだとも言われていた。こうした言い回しは苦し紛れでしかないのだが、だけど他には表現のしようがなくて、こうなったのだと思う。決して突然変異ではなく、ルーツは見え隠れする。だけどレッチリの音楽は、やはりレッチリによってしか生まれない。彼らは道なき道を歩き、彼らが歩んだ後に轍はできた。プリンスやベックがそうであるように、レッチリもまたイノベーターだったのだ。
レッチリは今年7月にフジロックの大トリとして来日しているが、ワタシはこのときスピリチュアライズドを観ていたために、彼らの勇姿を観てはいない。そして敢えて観なかったのは、11月に単独の来日公演がフジロックへのエントリー前に決まっていて、単独公演に行くと決めていたからだ。前回の単独公演は、東京では椅子席の武道館だった。今回はオールスタンディングの会場が用意され、バンドはもちろん、オーディエンスも大暴れすることになりそうだ。
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