クイーン 輝ける日々
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最終更新日:2022/11/21
Queen クイーン, デヴィッド・ボウイ, フレディ・マーキュリー
クイーンのドキュメンタリーが2011年に英国BBCで2回に分けて放送され、DVD化されている。パート1は結成からデビュー、世界的に成功する70年代までをフォロー。パート2は、停滞を経ての復活と、フレディ・マーキュリーの死までを捉えている。
当時の映像や写真はもとより、このドキュメンタリーのために、ブライアン・メイやロジャー・テイラー、スタッフや関係者らが貴重な証言を寄せている。ジョン・ディーコンのコメントはすべて活動当時のもので、この人はほんとうに一線を引いているんだなと思う。
メンバーのコメントは、商業的な成功を収めるまでの苦難、評論家のシビアな批評にさらされる苦しさなど、必ずしも自分たちの成功ばかりをかざすことはなく、むしろ苦悩や反発などの方が多かった。最初の全米ツアーでブライアン・メイは肝炎になってしまい、途中キャンセルしたことを悔やんでいた。デヴィッド・ボウイと共演した『Under Pressure』は、最終的に4人とも否定的だった。ボウイに利用されただけと、思っているようだった。
個人的には、イケイケモードのパート1よりも混沌としたパート2の方が見ごたえがあった。メディアに追い回される英国を逃れてミュンヘンでレコーディングしたが、そこで人間関係がどんどん悪くなったこと。アパルトヘイト下の南アフリカで、公演をしたことへの批判。そしてフレディのソロと、いつ解散してもおかしくない状態に見えた。起死回生になったのがライヴエイド出演で、会場がウェンブリー・スタジアムであることに一瞬ひるむものの、その前にブラジルでスタジアムを経験していたことがアドバンテージになっていた。
86年のツアーが終わった後、フレディのエイズが発覚する。この後バンドは、フレディの体調を気づかいつつレコーディングを進めた。PV収録時のフレディは、メイクでなんとか見栄えを保っていたが、以前のような生気は感じられなかった。ただその代わり、最後の最後まで音楽にすべてを注ぐ執念が感じられ、このような状態でPVを撮影した人などこの人だけではと思わされた。ことばを選びながら当時のことを話すロジャーとブライアンの表情には、観ている方が胸を締め付けられるようだった。
フレディが亡くなった後のことも、駆け足ではあるがフォローされている。92年4月には、トリビュートコンサートが開催された。ボウイやジョージ・マイケルなど、今ではフレディと同じ世界に旅立ったアーティストが出演していることに、複雑な思いがした。ポール・ロジャースを迎えたツアーの様子も、ちょっとだが観ることができた。アダム・ランバートを迎えるのは、時間軸的にこのドキュメンタリーよりも後のことだ。
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