『ダイナソーJr./フリーク シーン』を観た
公開日:
:
最終更新日:2022/05/03
Dinosaur Jr. サーストン・ムーア, ジム・ジャームッシュ, ストゥージズ, ダイナソーJr., ニルヴァーナ, フジロック
ダイナソーjr.の活動を追った、ドキュメンタリー映画を観た。タイトルにある『Freak Scene』はバンドを代表する曲名で、冒頭およびエンドロールに流れていた。
マサチューセッツ州ボストンの郊外で、中学時代にJ.マスキスとルー・バーロウが出会ったのが、始まりだった。ディープ・ウーンドからダイナソー、そしてダイナソーJr.へと、バンド名は変遷。年齢的に、彼らのレコードデビューは早かったそうだ。
ダイナソーの歴史を語る上で、どうしても避けて通れないのがメンバー脱退劇だ。Jとルーの対立と聞いてはいたが、例えばドラッグやアルコールなどに関連したような明確な原因はなく、些細なことから喧嘩するようになり、それが積もり積もったとのこと。ステージ上でふたりが殴り合う映像が残っていたのには、驚かされた。
『Bug』のツアー後にルーはクビになり、マーフも自身の待遇がよくならないことなどに不満を覚えて脱退。バンドはJのソロプロジェクトと化すが、メジャーレーベルに移籍しアルバムのリリースは続いた。マーフは後にバンドに戻りたいと訴えたが、もう先に進んでいるとJに言われたそうだ。
解散から再結成に至るまでの描写は、短かった。2002年にJがストゥージズのアシュトン兄弟と共演し、そのときにルーもステージに立つ機会があったのが、きっかけになった。再結成後、2011年には『Bug』全曲演奏ツアーを、2015年には結成30周年でニューヨーク7公演を敢行したとのことだ。
インタビューには、J、ルー、マーフの3人はもちろん、家族やマネージャー、親交のあるアーティストたちが多数登場。特に露出が多かったアーティストは、サーストン・ムーア、キム・ゴードン、ヘンリー・ロリンズ、カート・ヴァイルら。結成30周年ライヴの楽屋には、ジム・ジャームッシュの姿も確認できた。Jはカート・コバーンにニルヴァーナ加入を誘われたが、Jは自分たちの方が当時は格上だと思い断ったというエピソードも。
日本の音楽雑誌が、それぞれ一瞬だが数回映っていた。また、富士山をバックに自撮りするJの写真も。Jとルーには家族があるので家庭で過ごす時間が必要だが、独身のマーフはツアーは終わってほしくないと言っていたのが印象に残った。
ダイナソーJr.は、今年のフジロックフェスティバルで来日する。個人的にはJのソロも含めるとライヴを観るのは今度が10回目になり、楽しみにしている。
関連記事
-
素晴らしきボーナストラック:Jマスキス+ザ・フォグ『Free So Free』
Jマスキス+ザ・フォグの『Free So Free』を聴いた。1997年のダイナソーJr.解
-
ダイナソーJr.(Dinosaur Jr.)『ライヴ・イン・ザ・ミドル・イースト(DVD)』
ダイナソーJr.の現時点で唯一と言っていい公式映像作品を観た。2005年の再結成ツアーからニ
-
Jマスキス(J Mascis)@WWW X
開場予定の30分ほど前に会場前に着いたのだが、なんとJ本人がいて写真撮影に応じていた。一時期
-
ダイナソーJr.(Dinosaur Jr.)@EX Theater
去年のサマソニにも行っているので、今回の来日が発表されたときはチケットを取るのを躊躇した。が
-
Jマスキス+ザ・フォグのライヴにソニック・ユースのサーストン・ムーアが飛び入り
赤坂BlitzでのJマスキス+ザ・フォグのライヴはほんとうに素晴らしかった。そして、なんと、