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『パブリック・イメージ・イズ・ロットン』を観た

『パブリック・イメージ・イズ・ロットン』を観た

パブリック・イメージ・リミテッド(P.i.L.)のドキュメンタリー映画を観た。1977年の解散を経て、ジョニー・ロットンが本名のジョン・ンとしてバンドを結成するところからスタート。以降、時系列でバンドの歩みが綴られる。

バンド活動は、とにかく荒れてばかりだった。ピストルズ時代にはマネージャーのマルコム・マクラーレンに搾取されたが、P.i.L.でも金銭的に窮し、メンバーチェンジを繰り返し、と、この2点がライドンを苦しめた。特に初期作品は音楽的にも、バンドのスタンスとしても革新的だっただけに、裏側を知るにつけ残念な思いがした。

脱退した歴代メンバーは、ほとんどがこの映像のためにコメントを寄せていた。ジャー・ウォブル、キース・レヴィン、初代ドラマーのジム・ウォーカー、マーティン・アトキンスらだ。

83年の来日公演はバンドには破格のギャラが提示されたが、契約に「薬物等で公演に損失が発生した場合はアーティスト側が補填する」という条項があったとのこと。このため、キースは来日前に脱退。これは、80年の来日時に大麻が見つかり中止になって以降できた条項だそうだ。

ジョンは、恐らく自宅にてインタビューに応じていた。7歳のときに髄膜炎で手術を受け、しばらくは記憶が欠落してしまったとのこと。ステージ上で頻繁に唾を吐くのは、現在にまで至る後遺症とのことだ。脱退したメンバーについてはその技量を認めていて、彼らを責める発言がなかったのが印象的だった。

メンバー以外では、音楽評論家やジョンの友人、マネージャー、のアドロック、のフリーなどが、コメントを寄せている。特にフリーは、ベーシストのオーディションを受けて合格していたとのこと。迷ってヒレル・スロヴァクに相談した末、加入を断ったとのこと。マーティン・アトキンスは、レッチリと天秤にかけやがってとグチっていた。

92年の活動休止後、2010年の再開までは結構あっさり。97年のソロ名義でのライヴがちらっと流れた後は、タレントとしてテレビ番組やCMに出演したときの映像が流れた。96年と2008年には再結成ピストルズとして活動しているが、ここではスルー。

2010年のP.i.L.再始動では、ブルース・スミスとルー・エドモンズに声をかけたほか、スコット・ファーズをベーシストとして迎え入れた。以降こんにちに至るわけだが、メンバーチェンジもなく安定しているのは周知の通り。再結成初回のライヴのときは、バックステージにフガジのイアン・マッケイやのエディ・ヴェダーらがいたそうだ。

初出の映像は多かったが、観たことのあるものも結構あった。ロックパラストや83年日本公演、2011年サマーソニックなど。日本の映像が公式に採用されて世界に発信されているかと思うと、とても誇らしい。

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