「『at 武道館』をつくった男」を読んだ
ソニーミュージックの(元)名物ディレクター野中規雄氏の半生を綴った本、「『at 武道館』をつくった男」を読んだ。タイトルにもある通り、チープ・トリックの名盤にしてブドーカンの名を世界に広めた『at 武道館』の制作を担当した人で、他にもエアロスミスの『Walk This Way』に『お説教』という邦題をつけたり、ジャニス・イアンに慕われたりしている人である。
群馬出身の野中氏は高校では糸井重里と同期で、早稲田大学卒業後の70年代前半にソニーミュージックに入社。新人の頃はラジオ局を中心に外回りをし、自分が担当しているアーティストの曲をかけてもらうよう踏ん張ったそうだ。やがてディレクターとしてアーティストを担当するようになり、モット・ザ・フープルやエアロスミス、チープ・トリックなどのプロモーションを手掛ける。80年代になると邦楽担当になってオーディションで新人発掘を行い、ジュディ&マリーやホワイトベリー、パフィー、平井堅などを手がけたそうだ。何度かの組織再編の中でソニーミュージック内を渡り歩き、2008年に定年退職されている。
締めくくりは、昨年4月に行われたチープ・トリックの30年ぶりの武道館ライヴと、その前日に発売された『at 武道館』豪華盤だ。しかし、残念ながらワタシはチープ・トリックには思い入れがないので、読んでいて感激はなかった。その代わりと言ってはナンだが、クラッシュのところには食いついた。当時、レコード会社毎にどのパンクバンドを扱っているかで張り合っていたそうで、ピストルズもダムドも他社に行った中、ソニーが迎えたのがクラッシュだった。野中氏はクラッシュのツアーにも同行し、ジョー・ストラマーを間近で観続けた。ジョーは音楽とは裏腹に、普段は物静かで大人しく知的な人だったそうだ。彼らのライヴを観て、今後クラッシュを超える自分が情熱を注げるアーティストは現れないだろうと思い、現場から離れることにしたそうだ。
アーティストの伝記本は数多く出版されているが、レコード会社の人の半生が活字になったというのはとても珍しいと思っていて、非常に興味深かった。自分が手がけたアーティストのシングルやアルバムを少しでも多く売ることに情熱を注ぎ、そのためには何をすればいいのかという苦悩や奮闘ぶりは、まさにサラリーマンの姿勢であって、共感できるものがある。
1度だけだが、ワタシは野中氏をお見掛けしたことがある。クラッシュ『London Calling』のデラックスエディションが2004年にリリースされたが、それに先駆けて開催された試聴会に参加したことがあったのだ。そのときは腕のいいビジネスマンという印象があったのだが、この本には長髪で凛凛しい若い頃の写真もいくつか掲載されていて、ディレクター時代はかなりのやり手だったのかな、なんてふうにも思った。
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