ジョーカー:フォリ・ア・ドゥ(少しネタバレ)
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ジョーカー ホアキン・フェニックス
逮捕され裁判中のアーサーは、アーカム・アサイラム(精神病院)に収容されていた。アーサーについた弁護士は、アーサーとジョーカーが別人格であることを証明し、責任能力を問う方向に持ち込もうとしていた。あるとき、アーサーは院内でリーという女性と知り合う。
リーはジョーカーに興味を持ち、積極的に近づいてきた。アーサーはリーとの関係を深める一方、裁判では弁護士を解雇してしまう。検察側のハービー・デント検事は、アーサーを有罪にすべく裁判に臨む。アーサーはジョーカーが弁護につくと宣言し、実際に自らメイクをして法廷に登場する。
2019年に公開された『ジョーカー』の続編になり、劇中の時間軸は前作から2年後になる。個人的に、続編は作らず単体作品にしておけばよかったのになあと思っていて、1週間早く公開されたアメリカでは賛否両論(というか否が多い雰囲気)になっている。そこで、あまり期待はしないで劇場に足を運んだ。
今更だが、ジョーカーはDCコミックスにおけるバットマン最大の宿敵であり、スーパーヴィランだ。過去にも、ジャック・ニコルソンやヒース・レジャー、ジャレッド・レトによって実写化されている。彼らとの比較は、どうしたって免れない。
ただ、上記はほぼ最初からジョーカーで、生い立ちなどは謎に包まれていた(ジャック・ニコルソンのときは、マフィア幹部が変貌したという描写はあるが)。前作は、ジョーカーが如何にして誕生したのかを提示したのが画期的だった。ラストでは逮捕・収監されたように見えたが、すぐさま脱獄して再び暴れまわるものと思われていた。
それが、本作の舞台の大半は院内もしくは法廷で、言ってしまえば非常に地味だ。それは、リーとの恋愛をメインに据えているからというのもあるかもしれないが、彼女は彼女でなぜ脱獄の手引きをしないのだろうと思ってしまう。そして、裁判中のアーサーのある発言により、リーは見限って去っていく。
この2作はあくまでアーサーの物語であって、ジョーカーの物語ではないと思う。タイトルの「フォリ・ア・ドゥ」は、フランス語で「二人狂い」という意味で、一人の妄想がもう一人に感染し、複数人で同じ妄想を共有する精神障害のことだそうだ。劇中では、ふたりによる歌のシーンが何度もあるが、それらはふたりがジョーカーとハーレイ・クインでいられる架空の(あるいは理想的な)世界なのだと思う。
アーサーはホアキン・フェニックスで、役柄上、ジョーカーとしての強さやふてぶてしさよりもアーサーとしての人間臭さに比重を置いた演技をしているように見えた。リーはレディ・ガガで、キャラクターとしては期待通りのインパクトを残すことに成功していると思う。
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