『ドキュメンタリー 頭脳警察』を観た
頭脳警察が活動再開する2006年から2008年までを追った、ドキュメンタリー映像を観た。3部構成で、2009年に劇場公開されていた。DVD1には第1部と第2部、DVD2には第3部と特典映像が収録されている。本編は、計5時間14分に渡る超大作だ。
第1部
冒頭に2008年頭脳警察のライヴが少しだけあり、そしてバンドのヒストリーがさっくりと紹介される。さすがに過去の映像はほとんどなく、写真と字幕、音源で対応。そして、2006年のpantaの動向にフォーカス。陽炎や不知火をバックに、あるいはアコースティックユニット響として活動していたが、母の死や、独自の活動を続けていたTOSHIの接近などを経て、新宿の風林会館でアルバム『CACA』のライヴレコーディングを決行する。
第2部
PANTAソロ曲の『氷川丸』は、太平洋戦争時にそこで従軍看護師をしていた母に聞いた話をもとに書いた曲だった。母の死を受けて、当時の関係者を訪ねて話を聞く。服役中の元日本赤軍リーダー重信房子と書簡を交わしつつ、娘の重信メイ(日本赤軍とは関係しない)を迎えてレコーディング。また、サダム・フセインの孫の14歳の少年が、たったひとりで200人のアメリカ軍兵士と戦った実話をもとに『七月のムスターファ』を書く。
第3部
2007年12月、いよいよ頭脳警察が再始動。バンドは、PANTAのバックを務めてきた陽炎の面々。しかし、彼らは最初から頭脳警察を受け入れたわけでもなく、自分たちが便利屋になることを危惧するメンバーもいた。それを振り切ったのは、PANTAの「陽炎はオールマイティー」という、分厚い信頼のことばだ。頭脳警察ツアーから、京都西部講堂で映像はクライマックスを迎える。
PANTAとTOSHIが中心にいるのは言わずもがなだが、人脈がかなり興味深い。PANTAの母の葬儀には妻子の姿があり、TOSHIが参加しているNOTALIN'Sのギターとヴォーカルは、盟友のひとり遠藤ミチロウだ。2002年のPANTAソロツアーのメンバーだったバイオリン奏者の阿部美緒は、『オリーブの樹の下で』のレコーディングにコーラスで参加。そして極めつけは、70年代頭脳警察のベーシスト石井正夫(当時は「まさお」と表記)だ。
特典映像は、予告編やフォトギャラリー、そして劇場公開時のトークショーを収録。5時間17分という時間にはPANTA自身驚き、なんで2時間にまとめなかったのかと言っていた。監督の、PANTAは周囲の人にものすごく気を遣う人なのに、TOSHIには(いい意味で)全く気を遣わないと指摘すると、TOSHIが「気は遣わない金は使わない」と返し、笑いをとっていた。
個人的に、本作が撮影された時期の前後はPANTAや頭脳警察のライヴをちょくちょく観ていた。PANTAは2006年年末のカウントダウン・ジャパンで、頭脳警察は2008年ジャパン・ロック・フェスや2009年フジロック、2011年年末のカウントダウン・ジャパンでだ。
確かに、シングル『時代はサーカスの像に乗って』アルバム『俺たちに明日はない』のリリースというトピックはあったが、裏で劇的なストーリーがあったことは、この映像を観るまで知らなかった。
ワタシは、頭脳警察やPANTAのオリジナルアルバムはだいたい所有しているが、『オリーブの樹の下で』は持っていない。実質的にPANTAのソロラストに該当するこのアルバム、現在は廃盤だが、今回を機に探しに探しまくってなんとか入手した。
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