鮎川誠追悼番組『シーナ&ロケッツ 鮎川誠~Keep A-Rockin’~』
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シーナ&ロケッツ
半年くらい前、BSで鮎川誠の追悼特番が放送されていた。番組は、インタビューとライヴ映像を交互に流す構成になっていた。
シーナと鮎川ふたりのインタビューから始まり、ふたりの出会いは、福岡で鮎川がサンハウスとして活動していたのをファンとして見に来ていたのがシーナだった。やがてサンハウスは解散し、ふたりは結婚。九州にとどまらず東京で勝負してこいと後押ししたのは、シーナの父だそうだ。
初期のライヴ映像は、テレビ出演時が多かった。『You May Dream』だけで3回流れ、また「夜のヒットスタジオ」にも結構出演していたことがわかった。この頃はシーナの声もシャープで、鮎川もギターを弾きまくっていた。鮎川が前面に出て目立ってもいいはずの演奏力だったが、鮎川はあくまでシーナをメインに据えていた。
そしてインタビューは鮎川ひとりになり、シーナの病状のことも交え、ことばを選ぶように語っていた。日比谷野音公演の映像の後にシーナが亡くなったという進行になっていて、野音公演は前年の2014年のものだったのだろうか。シーナはシナロケの存続を願い、鮎川は遺志を継ぐ決意を固めた。
ふたりには3人の娘がいて、彼女たちもインタビューで語っていた。3人ともふたりを尊敬し、賛辞を惜しまなかった。長女と次女は双子、次女と三女は音楽活動をし、長女はモデルをしているとのこと。長女は小学校の文集に父と母の事務所を作ると書いていて、実際におこなっているそうだ。娘がステージに立って、ヴォーカルをとることもあった。
やがて鮎川も病に冒されるも、シナロケのライヴをひとつでも多く実施することを優先し、公表しなかった。昨年1月29日に膵臓癌で74歳で亡くなり、「ロック葬」には著名人をはじめ多くの人が足を運んでいた。
「Keep A-Rockin’」は、鮎川が生前から掲げていたキーワードだそうだ。シナロケは結成45周年を迎え、ステージでロックをかき鳴らすだけでなく、よき家庭人でもあった鮎川は、まさにこのことばを体現してきた。この人の魂は、ファンや若いアーティストたちに引き継がれると信じている。