PANTAさん(パンタさん、頭脳警察)死去
頭脳警察のpantaさんが、昨日7月7日に亡くなられた。死因は、肺がんによる呼吸不全と心不全。73歳だった。
PANTAさんは、1969年にTOSHIこと石塚俊明と頭脳警察を結成し、1975年に解散。活動中は、過激で政治的なバンドのイメージがついていた。ファーストアルバムはジャケットに3億円事件のモンタージュ写真を使ったライヴ音源だったが、発売中止。セカンドアルバムも、発売後すぐさま中止になった。メンバーチェンジを繰り返し、一時はTOSHIがバンドを離れるなど、常にギリギリ状態だったと思われる。
解散後PANTAはソロ活動を始動させ、都会派路線やラヴソングなど、頭脳警察のパブリックイメージではできなかった表現を繰り広げた。頭脳警察は、90年に期間限定で再結成。2001年にも、期間限定で再々結成。その後は、ソロと頭脳警察を並行して活動されていた。
個人的には、世代もあって最初にライヴを観たのは2001年の日比谷野音復活ライヴのときだった。以降、ソロも頭脳警察も何度か観させてもらった。特に近年は、樋口素之助や澤竜次、宮田岳など若いアーティストと組んで精力的にライヴや創作活動を行い、過去の遺産に依存せず進化し続ける姿勢を示していた。
音楽に触れたのは21世紀になってからだが、ファーストコンタクトは洋楽ロックのガイド本だった。最初の再結成の1~2年前に出版された宝島の別冊ムックで、浜田省吾がブルース・スプリングスティーンを、有頂天のケラがキング・クリムゾンを、SHOW-YAの寺田恵子がジャニス・ジョップリンを語るという、かなり貴重な書籍だ。
PANTAさんはフランク・ザッパについて書いていて、「オレが以前やっていた頭脳警察というバンド」という言い回しで、どうしても日本語のバンド名をつけたいと考えていたときに『Who Are The Brain Police?』を聴き、決めたことを語っていた。その次に観たのは、たぶん『稲村ジェーン』の伝説のサーファー役だと思う(イカ天の審査員は、観た記憶がない)。
フェスでは、フジロックやカウントダウン・ジャパンのステージを観た。フジロックでは、出演者としてでなくプライベートで来られていたのをオアシスエリアでたまたまお見かけしたことがあって、ワタシは「今度出てください」と言いながら握手してもらった。
最後にお見かけしたのは、ドキュメンタリー映画『zk/頭脳警察50 未来への鼓動』上映後のトークショーだった。約3年前だった。
ここ数年、闘病されていたのは情報として知っていた。1月に鮎川誠が亡くなった際、予定されていた対バンを鮎川追悼ライヴにすると宣言したPANTAさんご自身が緊急入院され、ライヴが中止になってしまったときには、イヤな予感がした。持ち直して6月にライヴを実施されたのを聞き、ほっとしていた矢先の訃報だった。残念。とてもとても残念。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
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