ドアーズ/まぼろしの世界(2010年)
ドアーズのドキュメンタリー映画を観た。制作2009年、公開2010年だが、素材はすべてバンド活動当時のもので、新たに撮影はされていない。ナレーションは、ジョニー・デップが務めている。
UCLAでのジム・モリソンとレイ・マンザレクの出会いを起源とし、ロビー・クリーガーとジョン・デンスモアが加わってドアーズ結成。バンド名を詩人ウィリアム・ブレイクの『知覚の扉』から引用、ジムの圧倒的なカリスマ性とスキャンダラスな奇行、ステージでのジムの公然わいせつ罪による逮捕と有罪判決、そしてジムの死と、5年弱に渡るバンドの活動が描かれている。
ドアーズは、公式なライヴ映像をリリースしていない。なので、ここで観ることのできる映像はどれも貴重だ。驚くべきは、警官がステージ前、場合によってはステージ上に陣取っている場面が多いことだ。ファンがステージに上がってくるのを取り押さえる役目もあるが、それ以上にジムが何かをやらかしたときに静止する意味合いが大きかったように見える。
曲の大半はドアーズ名義だが、作詞はだいたいジムが担い、作曲はロビー・クリーガーが担うことが多かったようだ。ジムは譜面を読めなかったとのこと。バンドはベースレスだが、キーボードのレイ・マンザレクの左手がベースラインを担っていた。バンドリーダーはこの人なものとばかり思っていたが、映像ではリーダーシップをとる場面はなかった。とにかく、よくも悪くもジムの存在感が大きすぎたのだ。
例の公然わいせつ罪だが、検察は懸命に写真を集めたものの、ジムが性器を露出した決定的な証拠を押さえることはできなかった。代わりに使ったのが、ジムがロビーのギターの前に跪いている写真。後に出回るデヴィッド・ボウイとミック・ロンソンとのショットと同じポーズだが、これをわいせつとするのは当時でも無理があったのでは。この時期のジムはヒゲを伸ばし見た目はまるで老人のようだった。
ジャニス・ジョップリン、ジミ・ヘンドリックスが亡くなったのを聞き、3人目は自分だとジムはひどく怯えていたとのこと。71年に恋人のパメラと共にパリに行くが、7月3日に27歳で死を遂げる。絶えずドラッグとアルコールにまみれ、生き急いた生涯だった。若くして亡くなった事実を知った上で観ているからかもしれないが、ステージ上でも「ここにいながら、ここにいない」人のように見えてしまう。
冒頭および劇中いくつかにおいて、ジムがヒッチハイクしたかと思えばそのクルマを自ら運転しているという、謎の映像がある。後で調べたところ、1969年にジムが監督・主演した実験映画『HWY(ハイウェイ)』の断片の流用だった。
バンド内部は絶えず混乱し問題だらけだったにも関わらず、出すアルバムは必ず売れた。ラモーンズが『End Of The Century』の中で、リスペクトはされるが商業的に成功しなかったのを嘆いていたのとは、真逆の状態だ。ドアーズがロールモデルとしていたロックアーティストは、ちょっと見当たらない。ジムは詩人や哲学者をロールモデルにしていて、まさに唯一無二の存在だったと思わされる。
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