ジャニス:リトル・ガール・ブルー(2015年)
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最終更新日:2022/10/04
Janis Joplin ジョン・レノン, ボブ・ディラン
ビッグ・ブラザーを離れ、エレクトラと契約したジャニスは、新たにバンドであるコズミック・ブルース・バンドを結成し、ウッドストックにも出演。しかし、彼女はステージを降りるとドラッグに溺れ、バンドも恋人も彼女から離れていく。そして1970年、レコーディングに現れない彼女を呼びに行ったスタッフが、ホテルの部屋で彼女が亡くなっているのを発見した。
ジャニス・ジョップリンのドキュメンタリーは、いくつも作られているし、個人的には1974年の『ジャニス』を観たことがある。本作の特徴は、ジャニスの友人や元バンドメンバー、元恋人といった、彼女に直接関わった人たちが、この映像のためにコメントを出していることだ。
中でも秀逸なのは、彼女の妹と弟がコメントしていることだ。ジャニスは子供の頃から歌が好きで、声が大きく、とても目立つ存在だった。髪を短くして男の子のような風貌にして、女友達よりもむしろ男友達と遊ぶことが多かった。また、彼女はデビュー後も家族に手紙や電報を送っていて、家族思いの一面が明かされている。
エンドロールでは、ピンク、ジュリエット・ルイス、ジョン・レノンとオノ・ヨーコがコメントを寄せる映像が流れていた。彼女はデビュー前にボブ・ディランに接触していて、デビュー後のUKツアーでロイヤル・アルバート・ホールのステージに立ったときにもディランを意識したそうだ。
強すぎるキャラクターとアップダウンの激しい性格ゆえか、彼女は必ずしも周囲には好かれず、敵も多かったのではと思われる。女性は結婚して家庭に入るべきという風潮や、ポピュラーミュージックの潮流としてもフォークからロックへの転換期にあり、彼女にとっては逆風だらけだったのではないか。それらが、彼女をドラッグやアルコールへと向かわせたのだろうか。
こんなではとてもじゃないが長くは生きられないだろうと思わされる一方、死して40年50年経ってもなお、彼女の音楽は聴かれ、語り継がれていることに、彼女が成し遂げたことの大きさも感じている。
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