CASHEERN(キャシャーン:2004年)
大亜細亜連邦共和国とヨーロッパ連合との長きにわたる戦争の中、各地でテロ行為が頻発するという時代。病気の妻を救いたい東博士は、少数民族の細胞に宿る新造細胞から人類の延命手段を研究していた。あるとき、実験用の死体が配されたプールに落雷があり、新造細胞が活動して死体が特殊能力を備えて蘇生。東に研究の場を与えた企業の男は恐怖を感じ射殺するが、生き残った4体が東の妻を拉致して逃亡し、人類への復讐を企てる。偶発的に新造人間の誕生を目の当たりにした東は、戦死した息子鉄也をプールに入れて蘇生させ、よみがえった鉄也は白いスーツをまといキャシャーンとして4体と戦う。
1970年代に放送されていたアニメを、当時宇多田ヒカルの旦那だった紀里谷和明が初監督として実写化。しかし、複雑で難解。そして不満が残る。まずは映像。CGを駆使したはいいが、画像が荒くザラザラした感じに見えて仕方がない。
4体の新造人間は人類への復讐を誓うが、そもそも人間同士で大陸規模の戦争を長くやっていて、そこに新造人間が割って入ったところで中途半端なのだ。たったの4体で、彼らの科学力も軍事力もほとんど表現されないまま、いつのまにか大量のロボットが生産され殺戮を始めているのも、違和感がある。
この大陸規模の戦争をもっと壮大に描いていれば、ラストはまだ説得力が出てくるのにと思う。登場人物のほとんどが死に、鉄也が到達した境地は『伝説巨神イデオン』のラストのようだが、いきなりスケールが大きくなりすぎている違和感があるのだ。
善悪がはっきりしない作品は今や珍しくないが、戦争しているのに敵味方の構図がこうまでわかりにくい作品は、逆に稀有だと言える。ほんとうの敵は?加害者は誰?被害者は誰?これらがあまりにも入り混じりすぎている。
東鉄也は、第七管区で上官命令とはいえ何の罪もない一般人を殺害。相手は、後にブライに生まれ変わる人間とその夫人だった。その鉄也も戦死し、父である博士によって蘇生するが、蘇生前の霊のような鉄也の意思は生き返ることを望んでなどいない。言わば鉄也もマッドサイエンティストの父の実験の材料でしかなく、鉄也もまた被害者だ。ブライをはじめとする4人の新造人間は、存在そのものが悲しく、それはフランケンシュタインや『ブレードランナー』のレプリカントたちのようでもある。
オリジナルのアニメ版を知った上で観ると、アニメとは設定が異なりすぎていることで、逆に切り離して観られるようになった。東博士はアニメではまともだが、映画では狂気にかられている。舞台は、アニメではロボット軍団によって攻撃されるが、映画では人間同士の戦いによって退廃的・厭世的な世界観になっている。一方では映画がアニメを継承している箇所もあって、これはこれで楽しめる。ブライキング・ボス/ブライが落雷によって自我に目覚めるのは、共通している。
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