手塚治虫 創作の秘密
1986年に放送された、手塚治虫のマンガ執筆の様子に密着取材した番組が、先日放送されていた。
表札のないマンションの一室に週5で寝泊まりし、自分ひとりだけで執筆したとのこと。クラシックやミュージカルのアナログ盤を流したり、小さなテレビをつけっぱなしにしながら、3本の連載を同時に進めていた。時期的には手塚の晩年にあたり、3本のうち2本は、『アドルフに告ぐ』『陽だまりの樹』ではなかったかと想定する。
パリでのイベントに出席することになっていて、しかし抱えている連載がどうしても書き上がらない。出席キャンセルか?という緊迫感が漂い、結局成田空港へ向かう車中でも執筆、それでも数ページが間に合わず、残りはパリで執筆したそうだ(当時だと、書き上げた原稿はFAXで日本に送ったのかな)。
『アドルフに告ぐ』の アイディアを、番組内で語っていたのには驚いた。ただ、取材時期は1985年と思われ、番組放送時には作品は完結していたので、しゃべってOKと思ったのかな。全くかけ離れているものを結びつけるところに面白さが生まれると、手塚は言っていた。
手塚の作画ペースは驚異的だが、5年毎にスランプが襲ってくるそうだ。それがナレーションで語られ、手塚自身もそれを隠すことなく自ら言及しているのには、かえって潔さを感じた。
番組は、手塚は漫画家40周年を迎え、あと40年100歳までは書き続けたいというナレーションで締めくくられている。しかし実際は、放送の3年後の1989年2月に60歳で亡くなっている。マンガ執筆だけでなくアニメ制作にも関わり、睡眠時間は1日にわずか1~2時間。やはり、抱えている仕事が多すぎる。そして、自分と同じレベルで託せるアシスタントはいなかったのだろう。というか、そのレベルにある人は、そもそも自立して漫画家としてやっているだろうしなあ。
Eテレでは、不定期に『浦沢直樹の漫勉』という番組が放送されている。漫画家が執筆するその場に定点カメラを設置して撮影し、後日当人と浦沢で映像を見ながら対談するという構成だ。『創作の秘密』は、そこまで撮影は徹底してはいないものの、それまでアシスタントすら入れなかったという手塚の仕事部屋に機材を持ち込み、スタッフは寝泊まりして手塚を撮影。『漫勉』のルーツ的な位置づけにある気がした。
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