メトロポリス(アニメ、2001年)
手塚治虫原作のアニメ化だが、手塚作品の中でも初期の方に当たることや(1949年の作品)、大友克洋脚本、りんたろう監督の2人の名前がクローズアップされていることなどから、手塚色の薄い作品になっているのだろうと予想した。
果たして作品の内容だが、原作のストーリーを大きく歪めることはなく、またヒゲオヤジやロックをはじめとする手塚ワールドではお馴染みのキャラが多数登場し、手塚ファンの期待を裏切らない出来になっていた。未来社会を舞台にしながら、本多俊之が担当したジャズミュージックは映像に合っていた。永井豪とやなせたかしがゲスト声優として出演していたとのことだが、エンドロールを見ても役名表記がなく、特定は難しかった。考えられるのは、序盤のモブ(群衆)シーンでのキャラクターだが、果たして?
ラストは、手塚が生涯賭けて何度か取り組んだテーマを彷彿とさせるようだった。人間が科学の力によって造物主となり、神の領域にまで踏み込もうとしている。その象徴がロボットであり、ロボットはやがて人間の制御を超えた力を持ち、人間を滅ぼす存在にまで上り詰める。人間の欲の深さと愚かさが生み出した結果に対する当然の報いとして、人間は滅ぼされるべきなのだろうが、最後には救いの手が伸び、希望の光が差す。
このくだりは、鉄腕アトムでも『地上最大のロボット』『青騎士』の辺りで見られたし、手塚最後の作品となった未完の大作『ネオ・ファウスト』においても、未完の部分ではクローンが世界を制圧するという構想があったそうだ。地球を汚し、生物を殺し、ここまで愚かになってしまった人間に果たして救いの手を差し伸べる必要があるのか、意味があるのかを手塚自身決めかねていたとのことである。
人間の犠牲者たるロボットが世界を牛耳って人間を滅ぼしてしまう、そこまでを描くことはできなかったのだろう。エンターテイメントである以上、人間をそこまで追い詰めつつも最後には救いと希望を挿入する形態を取ることが、現実との妥協点であったのだ。
個人的には、当時劇場まで足を運んで観た作品だが、今回改めて観てCGのクオリティの高さに驚かされた。制作技術がアナログからデジタルに移行した時期だったとは思うが、今観ても古臭さがなかったのだ。
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