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ジョージ・ハリスン/ リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(2011年)

ジョージ・ハリスン/ リヴィング・イン・ザ・マテリアル・ワールド(2011年)

の半生を掘り下げたドキュメンタリー映像が、DVDにてリリース。当時、2週間限定で劇場公開もされ、なんと休憩を挟む3時間半の大作だ。

監督は、近年ロックムーヴィーを結構手掛けている。第1部は、との出会いから後期まで。第2部は、ビートルズ解散からソロ活動、そして死までとなっている。基本的に時系列で進むが、時折前後を行ったり来たりしている。

本邦初公開と思われる映像がふんだんにあり、そして、生前のジョージ本人をはじめとする、関係者のコメントによって当時が述懐されている。コメントを寄せているのは、ポール・マッカートニー、、妻オリヴィア、息子ダーニ、前妻パティ・ボイド、、ジョージ・マーティン、フィル・スペクター、ジム・ケルトナー、、ラヴィ・シャカール、、ジャッキー・スチュワート(元F-1世界チャンピオン)などだ。

正直、不満はある。3時間半はやはり長い。ビートルズ時代は、もっとコンパクトにできるはずだ。スチュワート・サトクリフの恋人は、ジョージというよりビートルズのことを語り、挙げ句、最後は自分のことを語っていた。テリー・ギリアムやジャッキー・スチュワートは、本編に必須だったのかという疑問が残る(DVD特典でよかったのでは?)。

がしかし、こんな映像が!と驚かされるところは多い。1974年、ビートルズが法的に解散したことを証明する文書に、ポールとジョージがサインしているところ(ジョンとリンゴは別途サインしたそうだ)。70年代の、ジョージのツアー映像。90年代、ビートルズアンソロジーにおけるミーティングの模様(ただ、もしかするとコレは既発映像の引用なのかも)。

ジョージがビートルズ時代からインドに傾倒していたことは知ってはいたが、それがジョージの中でかなり大きなウエイトを占めていたのにもびっくり。インド音楽だけでなく、思想的なところでもかなりのめり込んでいた。ラヴィ・シャカールとの交流は、もしかしたら他のビートルやクラプトンよりも深かったのではと思わされる。

同じ学校の先輩だったポールは、常に数歩先を行く存在として、よくも悪くもジョージに作用していたことだろう。『Let It Be』のレコーディングで2人が対立するシーンは生々しいし、ソロになってからのジョージは解放されたように嬉々としている。リンゴは、あの憎めないキャラクターで、ジョージとつかず離れずでいい関係を持続していた。ジョンは、インドにのめり込んでいたときにジョージと一緒に写っている写真が豊富なように思えた。

最後は、かなり生々しい。死の2年前、ジョージとオリヴィアは自宅で就寝中に暴漢に襲われるが、オリヴィアがそのときのことを淡々と、しかし細かく語っている。そして死の2週間前、スイスで療養中のジョージをポールと共に訪れたときのことを、リンゴが語っている。リンゴの娘が病気を患い、ボストンに行かなければとリンゴが言ったとき、ジョージは「一緒に行こうか」と言い、それが2人が交わした最後のことばになったそうだ。

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