ジョン・レノン&オノ・ヨーコ「ダブル・ファンタジー」展に行ってきた
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John Lennon ジョン・レノン
今年はジョン・レノン生誕80年、没後40年にあたる。誕生日の10月9日から展示がはじまっていて、観に行ってきた。今回は、ジョンだけでなくヨーコの作品やエピソードなどの展示もあり、2人のペア色を濃くしている。もともとジョンの故郷リバプールで開催され、今度はヨーコの故郷である東京での開催というわけだ。
順路の冒頭が、2人が出会うまで、つまり1966年までの略歴紹介だが、次のブースから咳が聞こえてきて、どきっとする。咳はやむことがなく、入場前に検温しているのに、いったい誰だよとちょっと嫌な気持ちになる。しかし、ブースに入ってみて咳の正体がわかった。ヨーコの音声、つまり彼女の芸術の一端だったのだ。
そのブースでは、ヨーコがジョンとはじめて出会った、ロンドンでの彼女の個展を再現。壁の板に打ち付けられた、無数の釘。2つの青リンゴ。当時ヨーコは本物のリンゴをオブジェとして展示したが、ジョンはかじってしまい彼女を怒らせたとか。そして、脚立だ。ジョンは上がってみると「YES」という文字を確認し、ポジティブなワードだったことに安心感を覚えたとされている。
以降のブースでは、編年体でジョンとヨーコの生活や平和運動、音楽活動にまつわる展示がされている。2人で受けているインタビュー映像も、ところどころで流されている。雑誌のインタビュー記事も結構あって、ジョンはメディアの取材を拒まず、受けることが多かったのかなと思ってしまう。
ジョンと結婚する直前、ヨーコは前夫アンソニー・コックスと離婚し、娘キョーコの親権争いで裁判をしていた。これは知っていたが、ジョン、ヨーコ、ジュリアン、キョーコの4人で旅行に行っていたり、ジョン、ヨーコ、キョーコ、アンソニーの4人のショットがあったりしたのには驚いた。
脱線するが、これって、つまりダブル不倫ということだったのか。シンシアはヨーコにジョンを奪われ、アンソニーはジョンにヨーコを奪われた、とも受け取れる。アンソニー視点で見れば、当初は家族ぐるみで付き合う友人だったはずのジョンが、いつしか妻を奪っていったということになりはしないだろうか。
さて話を戻すと、ジョンのメガネとヨーコのサングラスを向かい合わせた展示、『Imagine』の手書き歌詞、ニューヨークTシャツ、アメリカ永住権獲得を証明するグリーンカード、ハリー・ニルソンやエルトン・ジョンとの写真、日本盤のシングルなど、資料的価値が高いと思われる展示物が並ぶ。BGMには、もちろんジョンの曲が流れている。終盤は、広めのブースで『Imagine』のビデオを観る。そしてその次のブースには、ジョンが死んだ直後のヨーコとショーンの声明文が。後年、セントラルパークにはジョンを記念して「ストロベリー・フィールズ」と名付けた一角ができたそうだ。
ジョンの展示は、過去にも何度かおこなわれている。かつては、さいたまスーパーアリーナ構内にもジョン・レノン・ミュージアムがあった。今回の展示は六本木のソニーミュージック六本木ミュージアムで、かつてはスヌーピーミュージアムだったところ。写真撮影は基本OKで、世界標準の対応をしてくれているのは嬉しい。
ほぼ10年おきに、ジョンにまつわるなにがしかのイベントがおこなわれている気がする。それは、ジョンの生きざまと残した曲の数々が、年月を経ても色あせることなく、有効に機能していることの現れだと思う。
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