藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってきた
公開日:
:
藤子不二雄
東京タワーの展示に行ってから7年。やっと、「本拠地」川崎の藤子・F・不二雄ミュージアムに行ってきた。
電車を乗り継いで登戸駅で下車し、パーマン仕様の直通バスに乗って約10分で到着(帰るときはドラえもん仕様だった)。まずは3階まで行き、カフェの整理券を取得。展示をさらっと観て、30分後に入った。メニューは作品やキャラクターにちなんでいた。暗記パン(フレンチトースト)とカフェオレをオーダー。カフェオレのラテアートはランダムとのことだったが、ドラえもんにしてくれた。
1階は、ドラえもんの歴史を網羅した展示。雑誌連載開始からてんとう虫コミックス、アニメ化、映画化と多岐に渡り、制作者のエピソードや作者である藤子のコメントなどが要所に添えられていた。「大人の鑑賞に耐えうる映画を、とはよく言われる。一方で、子供の鑑賞に耐えうる映画を作るのも、やってみるとなかなか難しい。子供たちを惹き付けることができなければ、映画館は運動会になってしまう。」うろ覚えだが、こんなようなことが書かれてあって、その通りだなと思った。
2階は、企画展はドラえもんの「笑える話」「こわい話」をテーマにした原画展。期間限定で、8月25日までとのこと。吹き出しのセリフが一部手書きになっていて、生々しさが感じられた。基本1話完結で、その中に起承転結を凝縮できているのは、改めて読んでみるとすごい技量とアイディアの量だと思わされた。このブースを出ると、藤子の手をかたどったブロンズ像があった。藤子は長身とのことだったが、手は驚くほど小さかった。娘と一緒に作った絵本やコレクションなど、プライベートの品も展示されていた。
同じく2階には、のび太の家のジオラマがあり、備え付けのタブレット端末で見るとARでのび太やドラえもん、パパとママが浮かび上がってきた。のび太の部屋は結構広く、本棚も充実していた。ガチャガチャや読書コーナーもあり、子供たちは原画展よりもこちらの方に集まっていたのが印象的だった。
Fシアターという、ミュージアム限定の映像上映もあって、「セイカイはのび太?」「ドラえもん誕生」の2本を観た(合計約15分)。前者は家出したのび太を探そうとひみつ道具を使ってのび太を呼び寄せようとするも、出てくるのは作者藤子・F・不二雄。後者はドラえもんが連載開始前にタイムマシンで行き、藤子・F・不二雄がどうやってドラえもんを生み出したのかを見届けるという構成だ。藤子を登場させることによって、キャラクターに込めた想いや読み手である子供たちへのメッセージを発信していた。
2階3階には、屋外にも施設がある。先に3階の方に行き、公園の土管、どこでもドア、ピー助にまたがるのび太とドラえもん、ドラミちゃん、オバQ、コロ助、パーマン1号2号などがあった。螺旋階段を下りて2階に行くと、キャラクターたちが藤子を囲んでいるブロンズ像があった。原画展のブースから出られる屋外施設には、「きこりの泉」が。手動でレバーを動かすと、「あの」キレイなジャイアンがお目見えした。
チケットは日時指定の事前予約制で、13時の回で入った(入場は13時から14時までの間に可能となっていた)。ワタシが滞在していたのは、3時間くらい。藤子の作品はほかにもたくさんあるが、展示はほぼドラえもんになっていた。これは、今年がドラえもん50周年だからかな。延期になっていた映画も公開され、ほぼほぼドラえもん一色だった。それにしても、これで1000円は安い。
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