渡哲也さん死去
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追悼
俳優の渡哲也さんが10日に亡くなられていた。死因は肺炎。78歳だった。
1960年代後半から映画俳優として活躍。スタートは日活だったが、その後石原プロモーションに移籍。映画制作者がテレビドラマ制作に活動の軸足を移すようになってからは、ドラマ出演を主戦場とした。石原裕次郎亡き後は石原プロ社長となり、後輩の俳優たちを牽引し続けた。
ワタシにとっての渡さんは、ほとんど「西部警察」の大門団長のイメージだ。散弾銃をぶっ放すさまはかっこよかったし、角刈り短髪にティアドロップのサングラスをかけた見た目も印象的だった。ドラマも、ド派手な銃撃戦やカーチェイス、爆破シーンなど、アクション色を濃くした描写は型破りだった。本来は映画でやっていたようなことを、毎週お茶の間で観られたことになるが、制作費などの事情を知らずに観ていた身としては、それが当たり前の感覚になっていた。「太陽にほえろ!」との差別化も、あったのだと思う。
訃報を聞いたとき、ワタシは渡さんが出演した映画を全く観ていないのではないかと思い、ショックを受けた。が、思い返してみたところ1本だけあった。観たのはテレビ放送でだったが、劇場では1997年に公開されていた「誘拐」という作品だ。ある商社の役員が誘拐され、犯人グループは3億円の身代金と、受け渡しのテレビ中継を要求してきた。3億円の入ったバッグを背負って都内を走るシーンは実際にロケが敢行され、臨場感に溢れると共に、東京で大規模ロケができたことに驚かされた。その後事件の全容が徐々に明らかになり、真実とは?正義とは?を問う意外な展開にも驚かされた。渡さんは警視庁のベテラン刑事を演じ、事件を通して永瀬正敏演じる後輩の若き刑事にも何かを伝えようとする役柄だった。
社会貢献活動については、たびたびテレビで観ていたので知っていた。しかし、渡さんが何度も大病を患っていたことは、今回の報道で知ったことの方が多かった。少し前に報道されていた石原プロ解散は、この人なりの終活だったのだろう。何よりすごいと思うのは、常に石原裕次郎に寄り添っていながら、ご自身の俳優としての光が少しも霞まなかったことだ。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
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