*

遠藤ミチロウさん死去

公開日: : 最終更新日:2024/04/18 遠藤ミチロウ , , ,

遠藤ミチロウ『AIPA(アイパ)』

少し時間が経ってしまったが、さる4月25日に遠藤ミチロウさんが膵臓ガンで亡くなり、5月1日に正式発表されていた。ミチロウさんといえば、ザ・スターリンでの過激なパフォーマンスが語り草だが、ワタシは聴けていない。

ミチロウさんをはじめて観たのは、2000年のだ。バンド「アメマーズ」と共に、間寛平をバックアップしていた。しかし、このときは寛平ばかりを観ていて、ミチロウさんについての記憶がない(汗)。ワタシが直接ミチロウさんを認識するようになったのは、2002年に上野で行われた沖縄を支援するイベントでだった。

イベントには、当時は解散状態だったとTOSHIが共にステージに立ち、変則的ながらが復活するのを目当てにして足を運んでいた。その前にソロアコースティックで登場したのが、ミチロウさんだった。『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』や、『天国への扉』に日本語歌詞をつけて歌っていたミチロウさんは、衝撃的だった。

その年の11月、和光大学の学園祭ライブに早川義夫・佐久間正英とミチロウさんが出演すると知り、足を運んだ。手作り感のある小さなステージで、早川・佐久間とミチロウさんを観られたのは、とても贅沢だった。ミチロウさんはトリとして登場し、早川にリスペクトを込めて冒頭でジャックスの曲を歌い、その後自分の歌を歌い始めた。

68歳は決して若いとは言えないが、同年代のアーティストたちがまだまだ現役で気を吐いている中、旅立ってしまったのはとても残念。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。

関連記事

爆裂都市 BURST CITY(1982年)

舞台は、自由や快楽、暴力が渦巻く都市。人気ロックバンド、バトル・ロッカーズとパンクバンドのマ

記事を読む

和光大学学園祭

和光大学の学園祭に行ってきた。和光大学のOBどころか、これまで大学と何の接点もなかったワタシ

記事を読む

  • 全て開く | 全て閉じる
PAGE TOP ↑