遠藤ミチロウさん死去
少し時間が経ってしまったが、さる4月25日に遠藤ミチロウさんが膵臓ガンで亡くなり、5月1日に正式発表されていた。ミチロウさんといえば、ザ・スターリンでの過激なパフォーマンスが語り草だが、ワタシは聴けていない。
ミチロウさんをはじめて観たのは、2000年のフジロックだ。バンド「アメマーズ」と共に、間寛平をバックアップしていた。しかし、このときは寛平ばかりを観ていて、ミチロウさんについての記憶がない(汗)。ワタシが直接ミチロウさんを認識するようになったのは、2002年に上野で行われた沖縄を支援するイベントでだった。
イベントには、当時は解散状態だったpantaとTOSHIが共にステージに立ち、変則的ながら頭脳警察が復活するのを目当てにして足を運んでいた。その前にソロアコースティックで登場したのが、ミチロウさんだった。『お母さん、いい加減あなたの顔は忘れてしまいました』や、ボブ・ディラン『天国への扉』に日本語歌詞をつけて歌っていたミチロウさんは、衝撃的だった。
その年の11月、和光大学の学園祭ライブに早川義夫・佐久間正英とミチロウさんが出演すると知り、足を運んだ。手作り感のある小さなステージで、早川・佐久間とミチロウさんを観られたのは、とても贅沢だった。ミチロウさんはトリとして登場し、早川にリスペクトを込めて冒頭でジャックスの曲を歌い、その後自分の歌を歌い始めた。
68歳は決して若いとは言えないが、同年代のアーティストたちがまだまだ現役で気を吐いている中、旅立ってしまったのはとても残念。謹んで、ご冥福をお祈りいたします。
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