椎名林檎@さいたまスーパーアリーナ(生)林檎博’18ー不惑の余裕ー 2018年11月25日
24日公演の興奮も覚めあらぬ中、再びさいたまスーパーアリーナへ。個人的に、この日は24日よりも少しステージに近く、また列も少し前の方の席になった。メンバーがよく見えそうだ。場内あちこちにカメラがセットされていて、撮影されるというアナウンスもされていた。
前日と同様、定刻を10分ほど経過したところからスタート。レーザー光線が飛び交い、宇宙的な映像が流れ、林檎のSEヴォイスを経てMummy-Dが登場。中盤になるとひな壇にグリーンのライトが薄く当たり、林檎の生声と共にガラスのボックスが明るくなる。林檎の姿が明らかになったところで歓声が沸いた。ボックスが降下し、ガラスを突き破った林檎がMummy-Dの横に陣取ってデュエット。すごい。このオープニングは、豪華かつすごい。
彼女のライヴでメンバー紹介を映像で行うのは、ここ数年のツアーでは定番だ。今回は、『APPLE』のときがそうだった。林檎を筆頭にバンド、そして銀河帝国楽団、ダンサーたち、マニピュレーターなどが紹介される。コレオグラファー(choreographer)という聞き慣れない肩書きもあったが、MikikoとBAMBIの名前があったので、どうやら振付師のことらしい。
上記の通り、まとまったメンバー紹介はされるが、そのほかにも演奏で各メンバーのソロがあるときに、スクリーンにその人がフィーチャーされた。名越、鳥越、ヒイズミ、そして後半でみどりん。いずれも腕の立つプレーヤーたちで、林檎の信頼を勝ち得ている人たちだ。オーケストラの面々と、彼らを率いる林檎の保護者的存在の斎藤ネコも、もちろんそうだろう。
『化粧直し』はインストで、林檎の衣装替えタイムでもあるのだが、このとき6人のダンサーがツアーグッズのビニール傘を振りながら踊り、オーケストラピットを囲む花道に繰り出してくる。4人がそれぞれスクリーンで紹介された後に、BAMBIとAIがセットでフィーチャーされた(後で調べてわかったのだが、4人のダンサーはMikikoが代表を務めるイレブンカンパニー所属だった)。この後、若女将こと林檎の娘によるナレーションが流れる。そういや、10年前の林檎博では若旦那こと息子がやっていたっけ。若女将は5歳、若旦那は17歳になったそうだ。
『東京は夜の七時』では、ゲストとして浮雲が登場。鳥越にワンフレーズ歌わせるのは、どうやらお約束らしい(鳥越の低い声が渋い)。映像は東京の夜の街並みの空撮で、渋谷のスクランブル交差点、首都高、レインボーブリッジなど、見覚えのある光景が流される。スクリーン下方では、東京が夜七時のときの世界主要都市の時刻をテロップとして流していた。コンセプトとしては、浜田省吾の『夜はこれから』にも通ずるものがある。
『恋の呪文はスキトキメキトキス』では、バックにでかでかと「スキトキメキトキス」の文字が。『ちちんぷいぷい』では、その文字にリンゴがかぶさり、更に歌詞に合わせて「Ringo」の文字も。まあド派手なこと。『目抜き通り』、この日はトータス松本本人来るかなあと思ったのだが、映像だった(前日兵庫のイベントに出演していたのをテレビで見ていて、この日も仕事の都合が合わなかったのかな)。
トータスが出ないとなると、がぜん次の瞬間への期待が高まる。ステージが暗転し少し間があった後、再び明るくなった瞬間、林檎の隣に宮本浩次が!スクリーンにもどアップで紹介され、そして『獣ゆく細道』へ。林檎と宮本とのデュエットだが、注目はやはり宮本。髪を振り乱し、目を向きながら歌うさまが映し出され、これら入魂のパフォーマンスは本来酔いしれるべきシーンのはず。なのだが、ひとつの立ち位置に留まることをせず、林檎の周囲をぐるぐる回ったり、しゃがみこんだりする宮本はとにかくコミカルで、観ていて笑いを抑えることができない。そしてふと思ったのだが、このパフォーマンス、今年の紅白でも観られるはずだ。これ、お茶の間騒然とするのでは?
本編ラストは『ジユーダム』。「支点」「力点」「作用点」の図や、立川志の輔と女性アナウンサーがスクリーンに映る。林檎の両サイドにはダンサーが並んで踊るのだが、彼女たちは笑みを浮かべていて楽しそうだった。それまでの林檎のライヴにもダンサーがいたことはあったが、感情を表に出しているのを観た記憶がない。特に、4年前は徹底して無表情だったBAMBIまでもが、ここでは表情を崩していたのには驚いた。
アンコール、着物姿になった林檎は、再び宮本を呼び出す。宮本は、エレカシ以外で他のアーティストのステージに立つのは林檎がはじめてとのこと。曲は前日とは変えてきて、エレカシ代表曲のひとつ『悲しみの果て』。宮本は自らギターを弾きながら歌うが、林檎も一部のヴォーカルを担っていた。続く「BONUS TIME」では、前日と同じくレキシが。というか、ステージのせりに既にアフロの頭部が見えていて(笑)、スクリーンで紹介された後に正式に登場。そして『きらきら武士』。前日は林檎はほぼ歌わせてもらえなかったが、この日は少しはデュエットとして成り立っていた気が。
この後2人によるMCタイムになって、一瞬あと1曲やってくれそうな空気になったが、さすがになかった。レキシは『幸福論』やれとか言うんだろと自分で言い、その手があったかと返す林檎。確かにレキシバージョンの『幸福論』聴きたかったが、この時点での流れにはちょっと合わないかな。オーラスで『夢のあと』を歌い上げ、ステージ後方に消えていった林檎。その後客出し映像として、『丸の内サディスティック』のブレイクビーツバージョンが流れた。
セットリスト
本能(with Mummy-D)
流行(with Mummy-D)
雨傘
日和姫
APPLE
MA CHERIE
積木遊び
個人授業(フィンガー5カヴァー)
どん底まで
神様、仏様
化粧直し(インスト)
カーネーション
ありきたりな女
いろはにほへと
歌舞伎町の女王
人生は夢だらけ
東京は夜の七時(浮雲)
長く短い祭(with 浮雲)
旬
恋の呪文はスキトキメキトキス(アニメ『さすがの猿飛』主題歌)
ちちんぷいぷい
目抜き通り
獣ゆく細道(with 宮本浩次)
ジユーダム
アンコール
悲しみの果て(with 宮本浩次)
キラキラ武士(with レキシ)
夢のあと
-ED BGM-
丸の内サディスティック neetskills remix
シングル『幸福論』で彼女がデビューしたのが、1998年。それから早20年で、もちろん長い時間にちがいないが、一方であっという間だったようにも思える。ソロ→バンド(東京事変)→ソロという、ふつうのアーティストではなかなかないキャリアを積んできた彼女は、実はまとまった期間休んだのは、『勝訴ストリップ』と『加爾基 精液 栗ノ花』の間、最初の結婚と長男の出産のときくらいではなかっただろうか。
個人的に彼女を知ったのは、サードシングル『ここでキスして。』で、はじめてライヴを観たのは99年4月の渋谷クアトロ公演だった。1000人のライヴハウスから、2万人のさいたまスーパーアリーナへ。このことを感慨深いと思う一方で、彼女は来る2020年東京オリンピックのプロデュースという大きな使命を背負っている。20年はひとつの区切りではあるが、同時に次へのステップの位置づけでもあり、今後の彼女の活躍・飛躍がますます楽しみだ。
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