ブレードランナー ファイナル・カット(2007年)
1982年に公開された『ブレードランナー』は、興行的には惨敗。しかし、年を経るにつれその表現や世界観が浸透し、多くのクリエイターがフォロワーとなり、映画ファンSFファンの心を掴んだ。やがて、監督リドリー・スコットの意図が反映された『ディレクターズ・カット』が1992年に公開。そして2007年、公開25周年にリンクするように『ファイナル・カット』が公開されている。
日本人が観ている1982年劇場版は、『インターナショナル版』とされている。『ファイナル』との差異はいくつかあるが、同じ作品でもかなり異なる印象があり、個人的にはどちらも楽しんでいる。大きな差異は、3つある。
まずひとつめは、『ファイナル』では中盤でデッカードがユニコーンの夢を観るシーンが挿入されている。そしてラスト直前、デッカードの同僚ガフがユニコーンの折り鶴を残していて、ガフがデッカードの夢/記憶を知っている、つまりデッカード=レプリカント説を匂わせている。
ふたつめは、『インターナショナル版』にはデッカードのナレーションが入っているが、『ファイナル』にはない。発する側が導くのをやめ、解釈を観る側に委ねているのだ。レプリカントの寿命は4年で、それゆえに逃亡した4人は生への執着を見せるのだが、タイレルは最新技術でレイチェルを作り、彼女には4年のリミットはなかったことがナレーションで語られている。ナレーションのない『ファイナル』では、レイチェルにはリミットがあるかもしれないし、ないかもしれない。
そして3つめは、ラストシーンだ。『インターナショナル版』はデッカードとレイチェルがスピナーに乗って逃亡。場面も、それまで夜の暗いシーンばかりだったのが、ラストだけは明るい日中のシーンになっていて、微笑みを浮かべるレイチェルとデッカードは、2人だけの新しい世界を勝ち取ったような印象を観る側に与える。しかし『ファイナル』ではココがばっさりカットされ、2人の未来が必ずしも明るいとは限らないという印象になっているのだ。
『インターナショナル版』のときはCG技術はなかったが(それなのにあの美しい世界を作り上げたのがすごいのだが)、『ファイナル』ではシーンの追加に加えCGによる補完をおこない、より鮮明で美しい映像に仕上がっている。現時点の流通状況では、『インターナショナル版』よりも『ファイナル』の方が正統な作品という位置づけになりつつあるようだ。
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