パティ・スミス―愛と創造の旅路
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最終更新日:2023/10/14
書籍 アンディ・ウォーホル, フジロック, ボブ・ディラン
パティ・スミスのバイオグラフィー本を、読んだことがあった。ロンドンの音楽ジャーナリストが手がけたものを、鳥井賀句氏が翻訳したものである。
話はパティの幼少期や家族構成から始まり、やがて生まれ故郷のニュージャージーを出てニューヨークに渡り、アーティストとしての活動をスタート。家庭に入ることで一度は活動を停止するも、やがて復活を果たすところまでを描いている。パティ本人やレニー・ケイら彼女に近い人物からの取材協力は得られなかったそうだが、その代わりなのか、ソニック・ユースのサーストン・ムーアやリー・ラナルドらの協力を取り付けている。
パティの半生は、情報としては割と出ている方である。ハイスクール時代に子供を産んで里子に出したこと、ニューヨークに出たての頃はロバート・メイプルソープと同居しアートの腕を磨いていたこと、MC5のフレッド・スミスとの結婚などだ。パティが影響を受けた詩人やアーティストの名前も、数多く出てくる。ランボー、アンディ・ウォーホル、ジム・モリスン、ボブ・ディラン、ローリング・ストーンズなどだ。
ただそれ以外のことも、この本にはいろいろ書いてある。キャリアを代表する曲『Because The Night』はブルース・スプリングスティーンが書いた曲だが、2人は出身が同じであり、また隣同士でレコーディングしていてプロデューサーが双方を知っていたために実現したこと。パティが『Wave』のツアーを最後に活動を休止したのは、フレッドとの結婚だけでなく、当時音楽的に行き着くところまで行ってしまったと思えたこと、疲弊していたことなど。『Radio Ethiopia』に収録されている『Poppies』という曲は、イーディ・セジウィックをモデルに書かれた曲であること。などだ。
終盤、『Dream Of Life』から『Gone Again』までの間、フレッドやメイプルソープを始め、バンドのベーシストだったリチャード・ソウル、実弟トッドなど、彼女の身近な存在がこれでもかとばかりに次々に亡くなってしまうところは、読んでいて胸を締め付けられるものがある。がしかし、それでも彼女は再びステージに立ったし、97年1月には待望の初来日公演も実現していて、この本のラスト近くでも少し触れられている。更には、解説として鳥井氏がフォローを入れていて、来日時にUAとの対談が実現したことにも触れている。UAは『Because The Night』をカヴァーしたほか、当時身重の状態で、パティとの話は弾んだそうだ。
97年の来日公演は、ワタシもガーデンホールで観ている。当時のワタシはパティの作品を聴きこんでいたとは言い難い状態だったが、それでも彼女が発した歌やことば、そしてオーラに、すっかり魅了されてしまったのを今でも憶えている。そして彼女の素晴らしさはもっと多くのロックファンにも必ず伝わるはずだと確信していたのだが、それは2001年のフジロックフェスティバルで叶ったのだった。
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