ボブ・ディラン(Bob Dylan)『New Port Folk Festival 1963 – 1965』
ニューポート・フォーク・フェスティバルにおける、ボブ・ディランのライヴパフォーマンスを集約した映像を観た。
まずは、このフェスがどういうものだったかというのを、ライナーノーツをもとに整理したい。1959年よりロードアイランド州ニューポート市で行われているフェスで、会場はメインステージがフリーボディパーク(つまり公園)と、ワークショップが付近のセントマイケルズ・スクールに設置。ワークショップというのは、複数の小さなステージが集約されたエリアらしい。4日間開催で昼の部と夜の部の1日2回行われていて、このDVDに収められている63年から65年までがピークだったと思われる。69年を最後にいったん終了するが、85年に復活し現在も行われているそうだ。
さて映像だが、画像はオールモノクロであり、演奏は年代順に配置されている。ディランは昼の部にも夜の部にも出演。昼の部の映像を観ると、ステージは狭く小さく、そして客との距離が異様なまでに近い。客はみな座ってライヴを観ていて、そんな状況でディランは歌っている。盟友であり一時期は恋仲でもあり、そしてこのフェスに関しては先輩格でもあるジョーン・バエズも登場し、ディランとのデュエットを披露。また、『No Direction Home』ではディランが共演できて幸せだと言っていた、ジョニー・キャッシュの姿も確認できる。
63年、64年はフォークでの演奏だが、65年にいよいよ衝撃が走る。リハーサルのシーンがあるのだが、ここで既にディランはエレクトリックギターを手にしている。そして、ポール・バターフィールド・ブルース・バンドを従えて『Maggie's Farm』を歌うディラン。演奏中は場内は静かなのだが、終わったときにブーイングの嵐となり、続いて『Like A Rolling Stone』が始まるとまた静かに。終わるとまたブーイングとなった。ディランは袖の方に引っ込んでしまい、司会者が説明をした後にアコギを手にしたディランがひとりだけで再登場。『Mr. Tambourine Man』『It's All Over Now Baby Blue』を、切々と歌い上げた。
今まで言い伝えられてきたのは、ディランがブーイングに堪えられなくなってステージを去り、戻ってきてアコースティックの曲を泣きながら歌った、というものだった。しかしこの映像を観る限りでは、はっきりと泣いているようには見えなかった。ディランがステージを去ったのも、客に拒否されたからだけではなく、主催者側との演奏時間の手違いがあったこともその一因らしい。ブーイングは、エレクトリックのディランを拒否しただけでなく、ディランをもっと観たいというアピールでもあった様子だ。
ディランはアコギを弾くときは、胸板のかなり高い位置に構えている。それがエレクトリックになったときは腰の辺りにギターを持ってきていて、その移り変わりもこの映像は明確に捉えている。アコースティックからエレクトリックへの変貌を遂げたディランの姿は、まさに時代が動いた瞬間だったように見える。
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