プリンスさん(Prince)死去
アーティストのプリンスさん(本名プリンス・ロジャーズ・ネルソン)が21日にミネソタ州自宅スタジオのエレベーターで倒れているところを発見され、死亡が確認された。死因は現時点で不明。享年57歳。
4月になってから、インフルエンザにかかっているとか、プライベートジェットの中で体調を崩し緊急搬送されたとか、というニュースを見かけてはいた。がしかし、そんなのは一時的なことと思っていて、まさかこんな結末になってしまうとは思わなかった。もちろん、本人がいちばん無念だとは思うが、ワタシはこの人の死をすんなりとは受け入れられない。
ボブ・ディランもポール・マッカートニーもミック・ジャガーも、まだまだ元気じゃないか。同い年のマドンナやポール・ウェラーも、まだまだ現役じゃないか。なのに、なぜこの人がステージを去らなければならないんだ。こんなことが、あっていいのか。いいはずがないじゃないか。
今年は偉大なアーティストたちが相次いで亡くなっている。人の死に優劣などつけられはしないが、個人的には1月のデヴィッド・ボウイをしのぐ、いや、ワタシが音楽を聴くようになってか最大と言っていい悲しみだ。
洋楽の聴きはじめはデュラン・デュランやカルチャー・クラブだったが、最初にガツンときたのがプリンスさんだった。アルバム『Purple Rain』はもちろん擦り切れるくらい聴き、就寝時のBGMの定番だった。映画『パープル・レイン』も、当然劇場に観に行った。86年の初来日は物理的事情で観に行くことができず、嫉妬心を抱きながら音楽雑誌の記事を読んだ。
大学入学を機に生活拠点が東京になり、現在まで直結しているライヴ通いのライフスタイルになった。ワタシはこれまで、少なくみて400回以上ライヴに行っているが、記念すべき初ライヴは89年2月のプリンスさんの東京ドーム公演だった。キャデラックでステージに乗り入れるド派手なオープニングは、以降のワタシのライヴ鑑賞の基準になった。
90年と92年はそれぞれ2回、96年は4回観に行った。優れたプレーヤーでありパフォーマーと感じることはできたが、まだ底を見せていない感触があった。そして2002年。このときは武道館1回を経て、仙台に遠征した。会場が、Zepp Sendaiつまりライヴハウスだったからだ。至近距離でライヴを堪能しただけでなく、思いもよらないことが起こった。
アンコールが終わり、客電がつき、撤収作業がはじまった。ワタシたちは更なるアンコールを求め、拍手でねばった。しかし、新人ならまだしも、確固たる地位を確立しているこの人が出てくることなどありえないという思いも、頭の片隅にあった。しかし、そのときは不意に訪れた。漆黒のコートをまとった男が、ステージに現れた。
プリンスさんだった。
スタッフは慌てて引き上げ、プリンスさんはセミアコにプラグをさして弾き語りで『Last December』を歌ってくれた。時間にして、わずか3分程度のことだったと思う。英語圏でないこともあり、この国の洋楽ファンの熱意は、欧米のファンに大きく水をあけられていると思っている。しかしこのときばかりは、ワタシたちの気持ちがプリンスさんを動かしたのだと、勝手に信じている。
この人の影響を受けたアーティストは、これからも多く出てくるだろう。しかし、この人の遺伝子を受け継げるアーティストは、出てこないのではないだろうか。プリンスさんは、唯一無二だ。ワタシたちは、大きな存在を失った。しかし、この人が残した音楽を聴き継ぐことはできるはずだ。
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