赤塚不二夫の生きざまに迫る
先日、TBSの深夜番組『林先生の痛快!生きざま大辞典』で、で赤塚不二夫の半生を取り扱っていた。
満州に生まれ、終戦後からマンガ家を志すようになり、石ノ森章太郎や藤子不二雄らと共にトキワ荘に住み込んで執筆するようになる。なかなか方向性が定まらなかったが、雑誌連載に穴が開いたことで代打として抜擢され、そこでギャグマンガを書いたことから道が開ける。その後の活躍は、知られている通りだ。
トキワ荘のことやギャグマンガに至るまでの迷走は知っていたが、ほかにも知らなかったことがいろいろとわかった。雑誌の編集担当が赤塚の原稿を紛失してしまったとき、赤塚は罵ることもせず、「飲みにいこう」と。その後同じ原稿をもう一度書き上げ、「2回目だからうまく書けたよ。」と言ったそうだ。
マンガの内容はハチャメチャで、赤塚自身の生き方もハチャメチャだった。だから、上記のようなエピソードがなおのことカッコよく聞こえる。以前BSマンガ夜話で、ギャグマンガ家ほど精神を病む人が多いといしかわじゅんが言っていたが、この人ほんとうはものすごく頭がよくて賢い人なのではと思わされる。
集英社の新人マンガ家登竜門として、手塚賞と赤塚賞がある。手塚賞はストーリーマンガ、赤塚賞はギャグマンガを、それぞれ取り扱う。ゆでたまごは『キン肉マン』の読み切りで赤塚賞に準入選し、デビューを果たしている。この賞の位置付け、以前からすごいと思っていた。「神様」手塚治虫と赤塚が並び立っていて、それはすなわち、赤塚がギャグマンガの第一人者であり、手塚と言えども入り込めなかった領域だったことの証だと思うのだ。
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