そして音楽が残った~プロデューサー・佐久間正英“音と言葉”~
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最終更新日:2020/11/08
四人囃子
1月16日にスキルス胃がんにより亡くなった、音楽プロデューサー佐久間正英。去年暮れにこの人のドキュメンタリー番組が放送されていたのだが、その拡大版が4月になって放送された。
暮れに放送されたバージョンとの重複は、思った以上に少なかった。拡大版というより、2本はそれぞれ独立していて、両方を観ることで佐久間の晩年の音楽活動や心理面について近づけるように思えた。「暮れ版」はバンド時代にも結構時間を裂いていたが、拡大版はプロデューサーとしての佐久間に重きを置いていた。
佐久間は80年代からプロデュースを始めるが、当時日本にはバンド上がりのプロデューサーはほとんどいなかったらしく、相当なプレッシャーがあったそうだ。しかし、ボウイのアルバムのレコーディングでは、日本のスタジオではイメージに合った音が録れないとメンバーが言い、それならドイツに行こうよとさらりと佐久間は言い、ほんとうにドイツでレコーディングした。壁崩壊前のベルリンでだ。
JUDY AND MARYのTAKUYAは、佐久間によってその才能を見出だされ開花したアーティストのひとりだ。ワタシはこのバンドはテレビで流れるヒット曲を聴いた程度の認識しかないが、実はこれはバンドにとってはかなりのインパクトだったらしい。番組を観終わった後にネットで少し調べ、もともとバンドの主導権はベースでリーダーの恩田だった。それがTAKUYAに移ったのだから、ということは、これがバンド解散の一因にもなったと考えられる。
晩年の佐久間は、日本の音楽業界を憂い悲しむ投稿を行い、業界関係者を震撼させた。コレは、ワタシも読んだことがあった。しかしその一方で、毎日新曲を作ってTwitterで紹介し、その数なんと1000曲以上。コレは、正直言って知らなかった。否定の後に、自ら行動を起こす。これこそまさしくプロの姿だ。
ワタシにとっては、四人囃子のベーシストであり、自身の大学の先輩でもある早川義夫をサポートする佐久間正英というイメージが強かったが、今回、この人の全体像について触れることができてよかったと思う。
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