ビースティ・ボーイズ(Beastie Boys)の”MCA”アダム・ヤウクさん死去
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最終更新日:2021/05/02
Beastie Boys トム・ヨーク, パール・ジャム, フジロック, レッチリ
ビースティ・ボーイズのMCAことアダム・ヤウクさんが、4日に亡くなった。まだ47歳の若さだった。ヤウクさんは唾液腺にがんの腫瘍ができていて、ここ3年は闘病中だった。一時は快方に向かっているとの報もあっただけに、まさに突然の訃報だった。
ヤウクさん、アドロック、マイクDのトリオによるビースティ・ボーイズは、80年代より活動を開始。そして、こんにちに至るまで唯一無二の存在であり続けた。黒人隆盛のヒップホップにて、白人によるヒップホップ自体がまず貴重で、ほかにはエミネムくらいしか思い浮かばない。トリオとなると更に貴重で、フォロワーがなかなか出てこない。ただ、スチャダラパーやRIP SLYME、KICK THE CAN CREWなどの日本のヒップホップ勢にとっては、黒人よりもビースティーズの方が取っつきやすかったかも、と想像する。
ビースティーズは、ヒップホップだけでなくバンドスタイルの面も持ち合わせていて、個人的にはそれで親しみやすかった。99年横浜アリーナ、2005年武道館、2007年フジロックと、計3度ライヴを観ることができた。フジロックが、最後の来日になったのかな。
ビースティーズがこだわり抜いている点のひとつに、PVがある。ちょっとおバカで、わざとチープにして、それでいてどこかシニカルさが漂う。観る側を絶対に飽きさせない作りは立派だし、日本人としては、『Intergalactic』が新宿で撮影されたことを誇らしく思う。ヤウクさんは、いくつかのPVの監督を自ら担当していた。
47歳での死は、あまりにも早すぎて残念でならない。純然たるヒップホップとしての彼らの継承者は少ないかもしれないが、ロック勢は多数哀悼の意を示していて、この人の存在の大きさを改めて感じずにはいられない。レッチリとコールドプレイはライヴでビースティーズを演奏し、パール・ジャム、トム・ヨーク、トム・モレロ、キム・ゴードンらがコメントを発している。他の分野では、メジャーリーグのニューヨーク・メッツが訃報のあった次の試合で、全選手がビースティーズの曲をバックに打席入りしたそうだ。
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