忌野清志郎さん死去
昨夜、ユニコーンのライヴから帰宅し余韻に浸っていると、忌野清志郎さんが亡くなられたというニュースを目にした。死因はがん性リンパ管症で、58歳という早すぎる死だった。清志郎さんは2006年に喉頭がんを公表して活動を休止。去年復帰するも腰骨への転移が見つかって夏に再び活動を休止し療養していた。2006年と去年は、フジロックフェスティバルのヘッドライナーにエントリーされていた。
RCサクセションとしてデビューし、当初はフォークだったがやがてロック志向に進化し、いつしか日本のロックを代表する存在に上り詰めて行った。RC活動休止後もソロやユニットなどで活動。音楽だけでなく、俳優業などその活動範囲は多岐に渡っていた。RCの曲は今や日本のロックのスタンダードで、どれだけのアーティストがカヴァーしたことだろう。そしてワタシは、清志郎は神様的であると同時に異端の存在であり続けたと思うのだ。
ワタシは清志郎さんのライヴを何度か観させてもらっているが、それらはいずれもフジロックにおいてである。初出演の98年のときは、前半はブーイング混じりだったのが、後半には清志郎に声援を贈り賛辞するように空気が変わっていった。なぜそうなったのか?
テレビなどを観ていて、音楽活動以外にも中途半端にタレント活動をし芸能界に片足を突っ込んでいたようなイメージがあり(正直その当時はワタシもそう感じていた)、それにフジロックのオーディエンスは反発した。
がしかし、清志郎さんはブーイングにMCで反論するのではなく、自らの歌と演奏だけで応え、自分が音楽に対して謙虚でひたむきな姿勢であることをわからせたのだ。それ以降、清志郎さんはフジロックの常連となり、顔的存在となった。毎年フジロックの朝は、清志郎さんが書いた『田舎へ行こう』で幕を開けるのである。
非常に残念ではあるが、その一方でやっと解放されたのかなという気もする。謹んでご冥福をお祈りします。
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