忌野清志郎の特番を観た
最近、忌野清志郎に関する番組が2つあったので録画しておき、今日立て続けに観た。
清志郎は2年前である2006年の7月、自らが咽頭がんであることを公表し、全ての音楽活動を休止して闘病生活に入った。時期的にはフジロック開催の2週間前で、エントリーされていたのだが当然キャンセルに。幸いリハビリは順調だったようで、去年から少しずつ活動を再開させた様子だ。
まずひとつめは、スペースシャワーTVでの1時間特番。Sweet Love Showerを始め、同局が収録してきた映像を中心に、RCサクセション時代からこんにちに至るまでの清志郎の活動を振り返り、また清志郎に関わった/影響を受けた人たちによるコメントも紹介されていた。RCサクセションはデビュー時はトリオ編成でアコースティックだったが、しばらく不遇の時代を強いられていた。それが80年に『トランジスタラジオ』『雨上がりの夜空に』がヒットし、音楽的にもロックに移行して、押しも押されもせぬ日本を代表するバンドとして君臨していく。
RC活動停止後は、タイマーズやHIS、Love Jetsといったプロジェクトをこなしつつ、自身のバンドも解体と再編成を繰り返している。コメントを寄せていたのは、ymoの3人やトータス松本、甲本ヒロト、ミスチル桜井などだった。坂本龍一が清志郎と組んでいたのは知っていたが、細野晴臣とはHISで、高橋幸宏とはサディスティック・ミカ・バンドで共演していた。
もうひとつの番組は、NHKの「Songs」。こちらは30分と短かったものの、スタジオに500人のファンを招いてライヴを行い、お馴染みの曲を演奏して健在ぶりを見せつけた。スタジオにはボードが用意されていて、清志郎本人が大きな字で「復活したぜベイベー~」と書いておき、ファンがその周辺に想いを綴っていた。スタジオライヴ終了後に清志郎本人がそのボードを見たのだが、感慨深いように見えた。
ワタシが清志郎のライヴを観たのはその全てがフジロックの場においてだが、特に印象深いのは98年だ。今でこそ清志郎はフジロックの顔のような存在になってはいるが、初めて出演した98年のときはそうではなかった。イエローモンキーや布袋寅泰がフジと噛み合わず1度きりの出演となったように、清志郎も当初はフジロッカーたちに歓迎されてはいなかった。音楽活動だけでなく、お世辞にも上手いとは言えない俳優業もやっていて、芸能界に半分足を突っ込んだような中途半端なイメージがあったし、実際ワタシもそのときそう思っていた。
清志郎がステージに登場したとき、場内からはブーイングが飛び交い、騒然とした雰囲気の中でライヴは始まった。そういう雰囲気やオーディエンスに対して清志郎はどうしたのかというと、ことばで説明するのではなく、自らの歌と演奏のみで向き合い応えたのだった。その結果、曲が進むにつれて場内の雰囲気は少しずつ変貌していき、終盤になると清志郎を包み応援する空気が場内を包むようになった。この人の音楽に賭ける姿勢がフジロッカーズたちに届き、ライヴの最中に場内の空気が劇的に変わって行った、奇跡的な瞬間だったように思う。
その清志郎は、今夜復活後初の単独公演を日本武道館で行っているはずだ。清志郎に乾杯!
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