ジョー・ストラマー(Joe Strummer)さん死去
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最終更新日:2020/05/05
The Clash ザ・クラッシュ, ビートルズ, フジロック, レッド・ツェッペリン, ローリング・ストーンズ
クラッシュのフロントマンとして活躍し、解散後はソロとして活動していたジョー・ストラマーさんが、心臓発作で亡くなった。50歳だった。
ワタシは世代的に、パンクをリアルタイムで体験してはいない。なのでロックの歴史の一部として、ビートルズやローリング・ストーンズ、レッド・ツェッペリンらを聴くのに近い感覚で、クラッシュのCDを聴いていた。最も好きな作品は『Sandinista!』で、2枚組というヴォリューム(アナログでは3枚組だったそうだ)と、パンクに留まらずレゲエやロカビリーにまで発展していった音楽性に感服させられた。
ストラマーさんを身近に感じるようになったのは、フジロックフェスティバルが始まってからだ。97年の嵐の第1回に参加したとき、疲れ果てて帰宅した後ネットして、ストラマーさんが2日目のシークレットDJとして出演を予定されていたことを知った。そして会場が苗場に移った99年、3日目のグリーンステージでメスカレロスを従えたストラマーさんのライヴを観た。『London Calling』のイントロが響き渡ったとき、黙っていられなくなってステージ前に走って行ったのが、昨日のことのようだ。今年のフジロックには、アーティストとしてのエントリーはなかったが、家族を連れて参加したらしい。そして来年も、ホワイトステージのエントリーが既に決まっていたのだそうだ。フジの空気を絶賛するアーティストは少なくないが、ストラマーさんはその筆頭格のような存在だった。
fujirockers.orgによると、ストラマーさんは犬の散歩から帰った後、自宅で椅子にもたれたまま亡くなったらしい。遣り残したことはなかったのだろうか、安らかな気持ちで逝ったのだろうか、とか、いろいろと想像してしまう。謹んでご冥福をお祈りします。
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