和光大学学園祭
公開日:
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最終更新日:2023/10/13
遠藤ミチロウ
和光大学の学園祭に行ってきた。和光大学のOBどころか、これまで大学と何の接点もなかったワタシがなぜはるばる足を運んだのかというと、早川義夫と遠藤ミチロウのライヴがあったからだ。最寄り駅は、小田急線の鶴川駅。平日なら直通バスが出ているらしいが、この日は祝日ということでなく、よって15分ほど歩いて大学に向かった。
住宅街の中の小高い丘の上に大学はあり、住所だと町田市と川崎市との境目辺りになっている。大学の敷地はそれほど広くはないが、校舎がいくつもあって、それなりの規模のようだ。ライヴスペースは入り口から入るとすぐのところに設置されていて(屋外)、学生のバンドが演奏中だった。中を覗いてみるが、たこ焼きや焼き鳥などの、各サークルが催している出店が立ち並ぶ。奥の講堂では、プロレスラー・高阪剛の講演会があったようだ。ワタシが行ったときにはもう講演は終わっていて、関係者だけで後処理をしているようだった。ちょこっとだけ覗いてみたが、さすがはプロレスラー、近くで見るといい体をしている。
ライヴの合間を縫う形で、出店や催しをちょこちょこ利用した。まずは学食内にあった、ウラン亭なる喫茶。お兄ちゃん2人が受付をしていて、ここでコーンスープを飲みながら少し休んだ。アトム会なるサークルがココを担当しているのだけど、でもアトム会って何をするサークルなんでしょ?お次は野球部の出店で広島風お好み焼きを買って食べ、JAZZ研の人に導かれるようにして、学生さんのジャズ演奏を少しばかり聴いた。
ワタシは大学時代、サークルにもゼミにも入ってなかったこともあり、友人たちと一緒に何かをして学園祭に臨む、というのをしたことがなかった。そんな自分の学生時代のことをちょっと思い出してなつかしくなり、今の彼らが少しうらやましい。なつかしいといえば、ワタシは3年前までは町田に住んでいた。大学にたどり着くまでに、町田市街を通過。ところどころ渋滞していたのだが、勝手知ったる裏道を駆使しまくったのだった。
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